2002年4月22日月曜日

カラヤン指揮/ベルリンフィル ショスタコービッチ交響曲第10番(モスクワライブ)


カラヤン モスクワライブ
J・S・バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1番
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番
録音:1969年5月29日

指揮:カラヤン
演奏:ベルリンフィル
露ARS NOVA ARS 008


以前掲示板で話題にしたカラヤンのショスタコービッチ交響曲第10番 モスクワライブを聴いた(通称カラタコモス)。

ショスタコービッチ(以下ショスタコ)の作品について書くことは難しい。どうしてもその歴史的背景などに言及せざるを得ない気にさせられるからだ。しかし、ショスタコの全ての作品をスターリンや戦争と結びつけたり、「証言」を参照したりすることが、作品を鑑賞する上で幸福なことなのかは疑問がある。作品が作られてから50年の歳月が経っている、作品背景の束縛がいつまで有効なのかを考えることは難しい判断かも知れない。

それで、このカラヤンの演奏だ。カラヤンはショスタコに関しては10番だけ録音しおり、この盤も入れると4つの録音を耳にすることができる。81年のBPOとの演奏がタコ10の演奏として名高いことはファンとしては周知のことだろう。最も現時点で私は81年盤は未聴であるし、また作品背景についてもCDライナー以上の知識があるわけではないので、ここは素直にCDを聴いた印象だけを記しておきたい。

この演奏は、カラヤンがモスクワに乗り込み、会場にいるショスタコービッチの前で演奏したもので、終了後ショスタコービッチが感動のあまり舞台に上がったという有名な演奏である(カラヤンとショスタコが一緒に写っている写真もある)。今回のCDはLPからの復刻盤であるらしくLPのノイズも聴き取れるが音質は非常に良好。

カラヤンの他の演奏と比べ、このモスクワライブがどういう演奏であるかを論ずることもできないが、はっきり言って私はたまげた。カラヤン壮年期の演奏であるが、流麗とか華麗とかいうものでは全くなく、非常にアグレッシブにして戦闘的な演奏が展開されている。作曲者自らの前で演奏するという気負いもあるのだろうか、また東側諸国というアウェーでの演奏と言う意味もあるのだろうか、とにかく攻めに攻めている。その演奏からは、恐怖感さえ感じるほどだ。(2楽章を何度も聴いていたら、家人が何事かと部屋に飛び込んできたよ)

演奏を聴いて印象に残るのは、これでもかというぐらいに重い低弦の響きだ。LPからの復刻ということもあるのだろうか、多少もこもことくぐもった音であるのは残念だが、低い重心から奏でられる弦の響きは圧巻である。そして、もうひとつは打楽器、とくにスネアドラムの機関銃掃射のような硬質にして破壊的な響きである。実際の演奏でこんなにもスネアが響くだろうかと疑問を感じないわけではないが、このスネアの響きが演奏そのものの方向性を強く決定付けていることに異論はなかろう。それ以外の打楽器でも、特徴的なフレーズを与えられている木管群(オーボエ、クラリネット、フルート、そしてピッコロ)もすごい。強烈なトランペットの響きと共に炸裂するシンバルの音などは、破壊的でさえあり、何か鬼気迫るものを感じる演奏である。低弦とスネアに支配された音楽は、アダージョだろうとアレグロだろうと、一部の隙もなく怒涛のごとく進む。

タコ10と言えば、暗い出だしと短いアレグロの2楽章、そして少し冗長な3楽章と混沌とした4楽章という感じで、決して親しみ、理解しやすい音楽ではない。圧迫や慟哭、葛藤や闘争、諧謔やユーモア、そしてカタルシス、非常に多くの複雑な心情がこめられた曲で、一筋縄でゆくものではない。「今日はちょっとブルーだからタコ10でも聴くかな」なんていう気分で聴ける曲ではない。クラシック初心者に「これ聴いてみたら」と薦められる曲でもない。はっきり言って、レビュを書くためにこの曲を聴きつづけるのはしんどいものである。しかし、一度は聴くべき衝撃の音楽であることは認めざるを得ない。

ショスタコも恐るべしだが、それ以上にカラヤン恐るべしである。カラヤンがここに示されたような危険なアグレッシブさを発揮できるとは考えてもいなかった。

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