2002年12月30日月曜日

ゲルギエフ/ミヤスコフスキー ヴァイオリン協奏曲

ニコライ・ミヤスコフスキー( 1881- 1950 )
ヴァイオリン協奏曲 二短調 作品44

ヴァイオリン:ワディム・レーピン
演奏:キーロフ歌劇場管弦楽団
指揮:ワレリー・ゲルギエフ録音:2002年7月2-4日 フィンランド、マルッティ・ラルヴェラ・ホール(ミッケリ音楽祭でのライブ)

ミヤスコフスキーという名前さえ初めて聞くのだが、CD解説によると「ソヴィエト連邦時代前半のロシアにおける、最も才能豊な作曲家のひとり」とのこと。生涯27もの交響曲をものにしながら無名であるとは、歴史に埋もれた作曲家ということだろうか。「作風はいずれか言えば保守的で、スラヴ的な後期ロマン派と呼ばれるべき位置にとどまった」作曲家、ということが20世紀前半の作曲家でありながら、音楽史的にも演奏的にも不遇な位置に留めている理由なのだろうか。

何度か聴いてみたが、音楽に深刻な響きは聴かれず躍動感と明るさに満ちている。作曲年代が1938年であることを考えると、少し楽天的過ぎないかという感じを持たないわけでもない。例えば一楽章のテーマの繰り返しにしても、少し聴いていると飽きてしまうような感じがなきにしもあらずだ。

とは言っても、音楽がいつも時代を背負っていなければならない理由などどこにもないし、逆にそのことが音楽を聴く上での重荷になってしまうことだってある。ここは素直にミヤスコフスキーの音楽に耳を傾ける方がよいのかもしれない。

先にも書いたように、暗さや激しさの少ない曲であるからゲルギエフのアクのようなものも、この演奏からはあまり聴こえてこない。(それでも充分にアグレッシブではあるが)

一方でレーピンのヴァイオリンは、あくまでも堂々とヴァイオリンとしてのメロディアスな雰囲気や技巧をいかんなく発揮しており、聴いた後にそれなりの満足感を得ることはできる仕上がりになっている。1楽章に挿入される技巧的なカデンツァも聴き所である。2楽章のメロディアスにして抒情的な音楽も非常に印象的だ。オケとヴァイオリンの掛け合いも、ゆったりとした気持ちにさせてくれる。

それでも、首を傾げてしまうところがないわけでもない。というのも、全体的にどこかしら中途半端な印象を受けてしまうのだ。和音やフレーズの展開にしても、どっぷりとロマン派しているようでいながら、ある瞬間に現代的な断片をふと聴かせたりする。そういうところが、何かとってつけたようでしっくりとこない。それが不安を象徴する手法では全くないというのだから、何か音楽に落ち着きがないように思えてしまうのだ。

最後のフィナーレにしても、いかにも的な終わり方であるところが、かえってわざとらしく感じられてしまう。というか、この時代作曲していて、この音楽?と やっぱり思ってしまうのであった。ロマン派の時代に作曲されていれば良かったか、という問題でもないとは思うのだが・・・、なかなか呪縛から逃れられないと改めて思うのであったよ。

演奏はよいと思うので、従来のヴァイオリン協奏曲に飽いてしまった方には、お薦めかもしれない。