2002年10月30日水曜日

【風見鶏】A New Campaign for Nicotrol Patch

10.23 The New York Times

「禁煙してても、吸いたいよ、吸いたいよ」の会社が5000万ドルもかけたキャンペーンを展開するらしい。禁煙パッチや禁煙ガムは直接ニコチンを体内に吸収するため、即効性がある反面、使い方によっては危険性も大きいという話しも聞いたことがある。

日曜日の朝日新聞には、煙草の増税に反対する「意見広告」が掲載されていた。"増税は日本で3000万人の愛煙家の楽しみを奪うものだ、今でも煙草は6割が税金であり十分過ぎるほど税金を払っている"という主張だ。

嫌煙家の私にとっては、何をヌケタこと言っているのだと憤りを感じる。ほかの嗜好品とは性質の違うことを理解すべきだ。分煙が進んできたとは言っても、それは極一部の限定された地域でのこと。その分煙とてまやかしにしか過ぎないようなシロモノだ。レストランでも喫煙と分煙席を分けているが、エアカーテンがあるわけでも清浄器があるわけでもない。空気は煙草のニオイで吐き気を催しそうになる。

煙草を吸う人がいるために、余計な法律を作り灰皿だの清掃費だの余計なコストもかかる。煙草葉農家の保護という問題もあるのかもしれないが、それらを全て含めて煙草撤廃に動いてもらいたい。特に医療関係者には、強く煙草反対キャンペーンを期待したい(あ、言っちゃってる)。

HIYORIみどり 「あら、今回もカゲキね。愛煙家の反感を買うわよ。愛煙家に言わせると酒はやめられるけど煙草はダメという人が多いわね。精神安定の意味でもかわいそうぢゃない、マナーの良い愛煙家もいるわ。煙草吸わないとイラついてダメていう人もいるし、煙草を与えない方がキケンよ。それに脂っこい食事の後や、きつい仕事のあとの一服は格別らしいし。共存できるような方法はないの?」

KAZAみどり 「キーッ!! 煙草吸わないのに、衣服や髪の毛、持ち物などに煙草のにおいがしみつくキモチ悪さって分かる? 人の吸う空気を目の前で汚しておいて平気なんて、スカッドミサイルで吹き飛ばしてやりたいワ。煙草に関する限りは徹底的なタカ派になるわ」

HIYORIみどり 「それはあなたの職場が遅れているからぢゃないかしら。私のトコなんて、煙草吸う人は皆な換気装置も窓もない密閉された地下室に集められて仕事しているわ。煙まみれで快適みたいよ」

YUKIHIRO 「あ・・・わたし、そこまでカゲキではありませんから・・・念のため(^^;;;」

【風見鶏】「North Korea sticks to nuclear project」

「North Korea sticks to nuclear project」
10.30
International Herald Tribune
Howard W. French The New York Times
Wednesday, October 30, 2002

わざわざ英字新聞を読むまでもないが、日朝交渉で北朝鮮側は、日本と核問題については話し合う積もりがないことを明言した。

North Korea flatly rejected international demands that it abandon its nuclear weapons program in the opening session of normalization talks with Japan here Tuesday.

北朝鮮の過去を考えると、核のカードはアメリカとの交渉にとっておきたいということなのだろう。

記事によると、ワシントンは日本と韓国、中国に対しても同様に、北朝鮮の核廃絶に向けて"最大限の圧力(maximum pressure)"をかけることを強く望んでいるものの、今のところ三国はブッシュ大統領が望むような態度を示していないと、不満を表明している。さらに韓国はプレッシャーどころか、ワシントンの北朝鮮への色づけについて疑問を呈していると書いている。

一方、「Since the beginning of secret discussions between the two countries over a year ago, Japan has reportedly offered North Korea a huge amount of economic assistance in exchange for normalized diplomatic relations.」、と日本の経済援助について言及している。

以上はIHTに掲載された The New York Times の記事である。


America's game plan could lead to disaster
International Herald Tribune
Editorials & Opinions
Nicholas D. Kristof The New York Times
Wednesday, October 30, 2002

一方、同じくIHTの「Editorials & Opinions」には、現在の脅威はイラクではなく北朝鮮であると書き始め、アメリカの北朝鮮への対応についての The New York Times の社説が掲載されている。

主旨はアメリカがもし北朝鮮を孤立化させるような政策をとるならば、結果的には悲劇的な結末をまねくかもしれないと警告している。

記事では北朝鮮に何度も訪問したことのある学者 Han Park の言葉を引用している。

"North Koreans firmly believe that the United States cannot now make a military strike, because South Korea is a hostage and because of the Iraqi situation,"

"That may make North Korea a bit more reckless."

北朝鮮は、今でもすぐにでも少なくとも5本のプルトニウム型核兵器を作るだけの準備はできているため、経済制裁や軍事的な行動は、北朝鮮を追いこむこと(あるいは新たな朝鮮戦争の幕開け)になるとの見解である。

「So what should America do?」

NY Times は、強行路線ではなく北朝鮮と話し合うこと、可能なら中国を代理としてと述べている。

そして、「If all sides play their cards wisely, the United States could not only defuse the confrontation, but also set North Korea on a path like the one China took, away from Stalinism.」 として未来に期待を寄せている。

日本の新聞はこれから読むわ>先に読めよ。

HIYORIみどり 「日本もずいぶん軽く見られたものね、という意見もあるかもしれないけど。」

KAZAみどり 「というよりね、北朝鮮問題は1948年から続く南北朝鮮問題を、いまだに引きずっているのかもしれないわね。私たちには朝鮮戦争は、特需ということでしか記憶されていないけれど、大国の利害と冷戦によって南北が分断されたのよね」

2002年10月28日月曜日

【風見鶏】 「Health Official Says Gas Killed 115 Hostages in Moscow」

10.28
The New York Times
By BEUTERS
Filed at Oct.27 2002 4:10 p.m. ET
Filed at Oct.27 2002 6:48 p.m. ET
朝日新聞 10.28朝刊

モスクワでのチェチェンゲリラによる劇場占拠事件は、ゲリラが要求貫徹のために人質を殺し始めた直後に、特殊部隊(Alfa Troops)が強行突入し解決されたが、115名もの人質の命が失われるという悲劇的な結果となった。これが「解決」と言えるのかは疑問だ。テロリストに対する容赦のない強行手段は、新たな悲劇のトリガーのようにさえ思える。

ところで、作戦の決め手となった催涙ガスについてであるが、それは無能力化剤の一種で(Anaesthetic)、外科的処置に使う麻酔のようなもらしい。しかし使用量をふやすと、意識の喪失、身体機能の不能、血流異常などを引き起こすものであるとらしい。ロンドンの、security expert Michael Yardley は、アメリカ軍がベトナム戦争において最初に使った'BZ'(3-キヌクロジニルベンジラート)ではないかと NY Times は指摘している。

また同誌は、ロシアは今のところ、使用したガスについて言及を避けているが、特別に禁止されてはいないものの、所有していないはずのものであり、グレーゾーンにあるものだとしている。イギリス王立大学の麻酔専門家 Dr.Peter Huttonは「he knew of no medical anaesthetic gas that could have been used in the way tha gas was used in Moscow.」とし、「"It's almost certainly something that's developed, owned, and used only by the military"」と述べている。

ロンドンを拠点の防衛コンサルタント Paul Beaver は、ミリタリーガスには必ず解毒剤があるものなので、軍が必要な措置を準備しないで突入したのは明らかな計画の不備だと指摘している。

朝日新聞はガスはジアゼパムであった可能性も指摘している。ガスのことばかり引用してしまったが、いずれにしても、かなり強硬な解決であった。チェチェン問題そのもののロシアの対応、および今回のテロ対策のありかたなど内外から厳しい追及を受けることは必至かもしれない。

HIYORIみどり 「人質をゲリラが殺し始めたから突入したっていうけど、テロリストが殺す以上に政府側が殺してしまうことになったような気がしないでもないわ・・・痛ましくて記事を読めないわ」
KAZAみどり 「ゲリラは爆弾を腰に巻いていいていつでも導火線に火を付けられるようにしていたわ。人質の救出のためには一刻の猶予もできなかったという状況だったようね。劇場ごと吹き飛ばされた場合を考えたら、最悪の事態は回避できたと考えることもできるかもしれない。」
HIYORIみどり 「他に方法はなかったのね」

KAZAみどり 「説得には応じなかったし、プーチンもチェチェン政策を変えるつもりはなかった。歩み寄るところは最初からなかったわけよ。でも毒ガスのようなものを使ったことを含め、作戦のあり方は人道的にも問題がありそうね。」
HIYORIみどり 「逃げるゲリラを後ろから撃ったという目撃談も語られ始めたらしいわ。人質の方々の精神的なショックも考えると、キメ細かいサポートがいるわね。」

2002年10月27日日曜日

【風見鶏】「不良債権処理加速か!デフレ対策か!」

10.27 サンデープロジェクト(テレビ朝日)

麻生太郎(自民党政調会長)、相沢英之(デフレ対策特命委員会委員長)、加藤 寛(千葉商科大学学長・前政府税制調査会会長)、大村秀章(内閣府政務官)が出演し、竹中金融相の不良債権強行処理路線のどこがまずいのか、分かりやすく討論する、ということだったのだが・・・ぜんぜん分からなかった。

麻生政調会長も不良債権処理を行わなくてはならないという認識は持っているが、「いまなぜ必要なのか、今はデフレ対策が必要」と主張する。土地本位制の日本において、デフレにより資産の目減りが大きい、不良債権は処理しても処理しても生まれているとのこと。

更に麻生氏は「バブルの時の不良債権はほとんど処理が終了した。今の不良債権はその後に生じたものだ」と言う。番組のコメンテーターにも「不良債権処理の額の実態を知らないで、不良債権問題が進まないというのは危険だ」と批判していた。

あれれ、そうだったのか。流通も建設も巨大不良債権と言われていた銀行のお荷物は、もうすでに処理が終わってしまっているのですか。それは認識不足でした。

で、結局のところ、不良債権だけ処理する、あるいは銀行の自己資本比率を下げることの何が悪いのか(貸し渋りが増えるってことだが)、具体的にはやはり分からなかった。それどころかデフレ対策として何をもってくるのか? 麻生氏は、国債発行30兆円枠にとらわれず補正予算で民間の投資がおきやすくするようにすべきとの考えと、減税を主張しているのだが・・・。

HIYORIみどり 「それにしても相沢委員長、すごい迫力ね。東京帝国大学卒っていうテロップではっとしたけど、84歳なのよ!」
KAZAみどり 「ああいう金融界の重鎮がまだ政財界にウヨウヨいるのでしょうね。竹中案のように銀行が国営化されたら銀行幹部がパージされて、国が銀行業務すると受け取れるんだけど、それってアリ?て気もするんだけど、あまりそこの言及はないわよね」
HIYORIみどり 「以前紹介した増田俊男のサイトでは、国営化して830兆円の貯金ごとアメリカに渡すための布石だって言っているけど・・・」
KAZAみどり 「・・・わからないわね、そういう見方をする人からは、売国奴となるでしょうね。でもそんなことして何になるの?」

2002年10月26日土曜日

【風見鶏】「不良債権――「竹中いじめ」の無責任」

10.26 朝日新聞 社説

おやおや、確か朝日の紙面は竹中の強行経済改革案に対して否定的な記事を書いていたと思ったら、今日の社説ではフォローしているではないか。

彼らこそ、日本経済の病根であるこの問題をとっくに解決していなければならなかった人々だ。まともな代案を持たないまま、みずからの責任を平気で棚あげしてしまうその姿は、あまりに見苦しい。

ということを見かねての主張のようだ。竹中の改革案を「荒治療」としながらも「事態の深刻さを考えれば、基本的な方向は正しい」と指示している。ずいぶんスタンスが書く人によって変わるものである。

同日の朝日の紙面では、米国は未だに竹中の案を指示していること、支持をしているのは竹中の人格ではなく、政策であることを改めて強調しているらしい。

一方、竹中氏は銀行トップなどの猛反対に合って、妥協点を見出そうとしているようだ。

私はこの混迷度合いを見るに付け、一体日本の病根は何なのかと疑問を感じてしまう。病根そのものは、今回の混迷を作り上げた、その当事者たちそのものなのではないだろうか、と考えて暗鬱な気分になってしまう。この先、論点のボケた議論になってしまわないことを切に望みたい。

HIYORIみどり 「それはそうと、ワシントンのスナイパーもやっと逮捕されたわね。モスクワではチェチェンからのロシア軍撤退を求めて劇場に立てこもったゲリラが、軍の強行突入により射殺されてしまったわ。人質は解放されたようだけど犠牲者も多く出たわ・・・」

KAZAみどり 「日本でも民主党の石井紘基衆院議員が刺殺されるという異常な事件が起きたばかりね。政治家が殺されるというのは、実は1960年の社会党の浅沼委員長以来なのよ。世界は、まさに多様なテロリズムの時代に突入したという印象さえ受けるわ。日本だって世界の中でしっかりしたスタンスを確立しなくちゃならないんだから、早く経済的な基盤を立てなおしてもらいたいわ」

マクサンス・ラリュ-&アンドラシュ・アドリアン 二大巨匠の夕べ

日時:2002年10月25日 19:00~
場所:ポルトホール(浅井学園大学 北方圏情報センター)

フルート:マクサンス・ラリュ-、アンドラシュ・アドリアン ピアノ:占部由美子
フルートオーケストラ:フルート・アンサンブル・Sapporo 指揮:阿部博光

��.A.モーツアルト:ディベルティメント第15版より第二楽章 KV.287 (フルートアンサンブル)
チマローザ:2本のフルートのための協奏曲 ト長調(ラリュ-&アドリアン、フルートアンサンブル)
シューベルト:ソナチネD-dur D.384(ラリュ、ピアノ)
ドップラー:リギの思い出 op.34(Fl:ラリュ-、AltoFl:アドリアン、ピアノ)
クーラウ:2本のフルートとピアノのためのトリオ G-dur op.119(アドリアン、ピアノ)
シューベルト:即興曲 B-dur D.935(アドリアン、ピアノ)
ドップラー:リゴレットファンタジー op.38(ラリュ-&アドリアン、フルートアンサンブル)

ラリュ-とアドリアンという二大巨匠が札幌で音楽を奏でてくれた。ラリュ-とアドリアン、それに占部由美子さんのコンサートは以前も開催されたことがあるようだ。ラリュ-は1934年、アドリアンも10歳若いとは言っても1944年生まれ。70歳と60歳という年齢ではあるものの、瑞々しく素晴らしい音楽を奏でてくれた。

曲目を見ると分かるが、親しみやすく、そして心に染みる歌心に満ちた曲が選ばれている。ラリュ-の優美なる音とアドリアンの芯の通った音の二人のアンサンブルは絶妙で、息をのむばかり。いまさら、それぞれの曲の出来映えや、ラリュ-がどうの、アドリアンはどうだなどと述べることは意味をなさないような気がする。ただ二人の奏でる音楽に聴き入り、堪能し音楽に浸ることのできる時間を得たことを喜ぶばかりである。

中でも、ドップラーの「リギの思い出」という曲は、短いも中にも美しさと激しさを持った音楽で、特に印象に残った。解説によると「リギ」というのはスイスの地名、作品はフルート・ホルン・ピアノ・鐘という構成で「牧歌」という副題が付けられているとのこと。ホルンの替わりにアドリアンはアルトフルートを吹き、深く落ち着いた音色を聴かせてくれた。牧歌的な雰囲気でのフルートとアルトフルートの対話の旋律、中間部の激しさと強さ、そしてまた回帰してくる穏やかさと鐘の音色、悠久の時間と、いつまでも変わらない平和なる風景を見せられたような気にさせられた。フルートとアルトフルートのデュエットの美しい音色は今でも耳を離れない。

ところで、アドリアンは、相当茶目っ気のある方のようだ。この演奏が終わった後、彼は何とカウベルを持ってきて、鐘を鳴らしていた女性の首にかけてあげるではないか(^^)ナイス!

ラリュ-とアドリアン、そしてフルートアンサンブルによるリゴレットファンタジーも楽しい演奏であった。二人のおどけた仕草を交えた掛け合いは、本当に息が合っており心浮き立つような気にさせてくれた。編曲のせいもあると思うが、最初のチマローザの場合はバックのフルートアンサンブルが強すぎ、二人の音をほとんど聴き取ることができなかった。一方ドップラーの場合は、伴奏と二人のソロ部分の対比が適切で、フルートデュエットを引立てるような音楽になっていたと思う。

それにしても、このデュエットの完成度といったらどうだろう。恐らく二人が合わせたことなど、今回の演奏会においては数時間だけだろうに、早いパッセージだろうが何だろうが、ビタリとリズムも音も合うその心地よさよ。

アンコールは、曲名は分からなかったがショスタコービッチの小品(ラリュ-&アドリアン、ピアノ)と、フォーレのシシリエンヌ(ラリュ-&アドリアン、フルートアンサンブル)。ショスタコービッチの曲は、明るく親しみやすい表装を装いながらも、彼特有の諧謔性が一瞬のフレーズから鈍い光とともに抉り出されるかのようで、思わずその瞬間は背筋に電撃が走るかのような感触を覚えた。

今回の曲目はフルートのヴィルトオーゾ性を際立たせるような曲ではなく、フルートファンではなくても親しめるような内容であったように思うが、逆にちょっと物足りない印象も受けた。

ラリュ-とアドリアンが、この先札幌のステージに立つことはもうないと思う。演奏会は良いものだったと思うのだが、なぜに、ふたり一緒で、しかもフルート・アンサンブルとの共演という企画になったのかは、実のところ疑問であった。

最後にフルート・アンサンブル・Sapporoは、これを機会に札幌のプロフルーティストにより編成されたものとのこと。札幌フルート協会の小松昭五さん、佐々木信浩さん、松沢幸司さんの他は皆女性。ドップラーではピッコロも吹かれた蛎崎路子さん、中央では細野雅子さん、横には高橋紫さん、北沢里奈さん、後列中央に実藤美保さん、アルトフルートでは楢崎容子さん、バスフルートでは前川茂さんなどなど・・札幌のフルート界では錚々たるメンバーであった。



2002年10月25日金曜日

拉致被害者の行方

どうもよく分からない。拉致被害者を帰国(北朝鮮)に返さないだとか、子供ともども日本に永住させるべきだとかいう議論だ。

拉致は国家の主権を侵されたのだ、まず国が北朝鮮に返さないと主張することに賛同するという意見もある。24年間の無責任を取り返すということなのだろう、国家としては当然の行為とは言える。一方、24年間も待ちつづけた家族の気持もわからないでもない。待って待って、やっとここまで辿り着いたという思いだろう。

でも、拉致されたという方々にも人生がある、しょっているものがある。不幸なる出来事により、考えもしなかった境遇に陥ったが、今までは北朝鮮で、それほどの不自由なく生活していたのだろうと思う。それを、よってたかって、おまえらは不幸だ、日本に戻れの大合唱。

「おまえは不幸な状況だ、状況を見極めろ」と言う事は、彼女あるいは彼らの、精一杯の24年間を否定しさることである。それはあまりにも残酷なもの言いのように響く。

彼女あるいは彼らの「不自由ない生活」がどこまで保証されたものであったのかは、今のところ分からない。また彼女あるいは彼らの言う「幸福」は歪められた現実の上の楼閣であるのかもしれない。北朝鮮が金正日による社会主義独裁政権で、さらに米朝合意に違反するような反社会的行動を取る未成熟な国家である。あるいは、情報、思想など自由主義の思想からは到底受け入れることのできない統制を国民に強いていることが伺えるし、一部のエリートたる高級官僚と一般市民の間には生活面で大きな断絶のあることも確かなようだ。北朝鮮に住むことの利点は、我々から見ると一つもないと思える。

それでも、彼らの日本えの永住帰国ということには、今の段階で疑問と不安を感じる。日本に永住するとして、仕事は、子供たちの教育は、住む場所は、いったい誰が面倒をみるのか。

以前私は、何が幸福か考える必要があるかもしれないと書いた。北朝鮮は横田さんの娘を、国家のプロパガンダに利用するほどの国である。人の人生を国家に巻き込んで平気である。しかし、日本においても拉致問題を政治の手段としてはならないような気がする。拉致と国交正常化は切り離して考えるべきなのかもしれない。

横田めぐみさんの娘さんのように、他の子供たちも「拉致された」という現実に、いつかは向き合う必要はあるのだろう。助言は必要だし助けもいるだろう。しかし、本当に幸福なことというのが何なのかは、本人たちが選択するものだ。そして日本は私たちがすすめるほどに幸せな国なのだろうかと自問せざるを得ないのだ。

いずれにしても、いまの状況は、私には痛々しくて正視できない。

2002年10月24日木曜日

新聞ウォッチ

「日本の危機」というと櫻井よしこ さんの優れた著作を思い出すが、まさに今、私達は日本の岐路に立っていると思う。

失われた10年と長引く不況、進まぬ構造改革と景気対策、教育や医療体制の歪みと崩壊、年金福祉制度の破綻と将来への不安、少年犯罪の増加、近隣諸国との対外外交のまずさ(歴史認識を含め)、そしてそれら、一番国を左右すべき政治と官僚の迷走。

一方、近隣のアジアに目を向けると、韓国の著しい発展、中国の猛烈な資本主義化、インドでの技術者の台頭などなど。日本が国力を保ち、アジアのみならず世界の中での役割を果すことができるのか。

そんなことを考えるにはマスコミの情報、インターネットでの個人サイトなど情報は氾濫しているものの、何がその中でよりベターな見解であるのかを見極めることは困難である。願わくは、○○新聞しか見ていない、という、いつのまにか偏った思想になってしまわないようにと、このごろ新聞ウォッチを始めている。

日本の危機を乗り越える知見が得られるだろうか・・・・

2002年10月23日水曜日

【風見鶏】「竹中経済政策は経済基本原則を無視した暴挙である。」

10.23 増田俊男の時事宣言(10月21日号)

「増田俊男の時事宣言」というサイトを紹介していただいた。そこにタイトルのような意見が掲載されている。HPには「時事評論家、国際金融スペシャリスト」と自己紹介がある。彼は竹中氏を「売国奴」とまで決め付け手厳しい。

論旨を乱暴にまとめると「今回の竹中大臣の政策は、銀行を助けるだけのもので、ひいてはアメリカに資金が渡るような仕組みをアメリカが維持したいという意向に沿ったものでしかない、今必要なのは個人消費を上げること」と主張している。

いわく
「銀行と郵貯にある830兆円の現金は何時でも消費に回る可能性のある超大潜在消費力である。何故この膨大な余剰資金はこの十年間消費に回らなかったのだろうか。それは将来への不安のためではなく、国民所得が増えないどころか、特に消費に直結する不労所得が抹殺されてきたからである」

あるいは
「竹中経済政策の基本は100%サプライサイドに向いた国民犠牲、消費者無視!の基本が貫かれている。ゼロ金利政策は、国民が830兆円から当然得るべき膨大な預金金利という不労所得を横取りし、銀行に与える政策である」

私は今の産業構造を維持したままの解決では、日本の未来はないと考えている。不良債権処理はかなり相当に手ひどくハードだが、産業構造の変革をもたらすきっかけを秘めていると考えている。

増田氏は、国民の所得(可処分所得でも不労所得でも)は、もし消費が回復する状況になったとしたら、どこに向うと考えているのだろう。モノがどんどん売れるように、果してなるだろうか。人の欲望と時間を吸収し続けることの可能な製品が、このさきばら色のように生まれるとは思えない。

だとすると、消費はどこに向うのか・・・個人の欲求を満たすという意味では付加価値とサービス(教育・医療、観光などの余暇も含む)に、しかしそれ以外に消費が向う先が見えない。

HIYORIみどり 「830兆円の貯蓄ですって! 1億2千万人で割っても、ひとり当たり700万円よ。でもそんなに貯蓄あるの? ウチなんてスッカラカンなのに」

KAZAみどり 「貯蓄を持っている年齢層、または階層という観点が抜け落ちているわね。若い人には貯蓄はないと思うわ。数パーセントの高所得者と退職近傍の高齢者に貯蓄は集中しているというのが、わたしの感触ね」

HIYORIみどり 「銀行とか企業が豊かになるのじゃあだめなの」

KAZAみどり 「日本のカイシャは経費天国と呼ばれていてね、経費が第二の給与とまで言う人もいるわ。今までもそうだけど企業が豊かになるほどには、サラリーマンには給与という形では還元されていないのよ」

【風見鶏】 「竹中ショックが日本を救う」

ネットがない、銀行や企業をつぶすことが先決になっている、実態経済にそぐわない、などなど。

しかし、アメリカをはじめとする海外では、竹中の金融政策を支持する声が多い。競争原理の働いている厳しい市場経済を前提にしている諸外国からすると、当然の方針ということなのだろう。

日本経済は最近、中国以上に社会主義的であるとの批判も内外で聞かれている。(例えば公的資金として注入した優先株を普通株にするつーことは、国が50%以上の株を持つ銀行は国営になるってことなのかい?) 私は経済には(も)疎い。確かに自分の会社が潰れたら路頭に迷うものの、このままで良いとも思えない。小泉内閣の掲げる「構造改革」が実態を伴なっていないことに問題があるのだが。政治家とともに我々も含めて「日本が危機あるいは岐路にいる」という認識が、どこまであるのだろうか>てヒトゴトみだいだけど>だから、 Kazaみどりちゃん と Hiyoriみどりちゃん なんだってば

HIYORIみどり 「竹中さんて、な~んかかわいそう。学者に何ができるって批判されているけど、そういうあんたが何できるの、て思っちゃう。みんな評論ばっかりよね」

KAZAみどり 「木村剛さんも、いかにも~ってカオしていて、反発受けそうよね。言っていることは間違っていないようなんだけど。そろそろ中間報告でるんでしょうね」

【風見鶏】「Japan Delays Banking Changes」

10.23 The New York Times

竹中大臣が中間報告を送らせたことをNY Timesが報じていた。彼が中間報告を送らせたことを知らないブッシュ大統領は、今日のプレスクラブでの昼食のスピーチ(a press club luncheon speech)で、彼の方針を褒めちぎったばかりであるとのこと。

記事は、青木参幹事長が竹中に真っ向から反対したこと、昨日の記者会見でのUSJ銀行頭取 寺西正司頭取のコメントなどを紹介し、最後には竹中の改革を支持するコメントで締めくくっている(以下)。

「John B. Taylor, United States under secretary of the Treasury, told reporters in his luncheon speech today: "Minister Takenaka, I understand, has established some principles for dealing with nonperforming loans. I agree very much with these principles. They make sense, and we're supportive of those."」

ここ1日半の日本経済界の動きと不良債権処理という点は重点的に説明しているものの、セーフティネットをはじめとして、反対勢力が何を論点としているのについての言及は乏しいように思えた。

先に紹介した増田氏の主張については、私には判断できない。ただ、アメリカは失業者が出ても競争原理を徹底させ銀行を健全化させることを強く望んでいることだけは確かなようだ。

【風見鶏】「N.Y. Times to buy Post's 50% share of IHT」

10.23 International Herald Tribune

23日の朝日新聞朝刊(2面)でも報じられていたが、パリに本拠を置くインターナショナル・ヘラルド・トリビューン(以下IHT)が100%ニューヨークタイムズ(以下 Times)の子会社になることになった。ワシントンポスト(以下 Post)が所有していた残り50%の権利を全て買い取ることにしたという。

今までは、IHTは独自の記事と、Times と Post の記事を掲載していた。世界的な新聞社にとっては、どこと記事を提携するか、あるいはどこと提携して自社の記事あるいはオピニオンを掲載させるか、ということは戦略であるらしい。IHTの子会社化はTimesの世界戦略のひとつであるらしい。

IHTの記事からは、Post と Times が水面下で、様々な駆け引きを行いながら今回の結果に導いたことを説明しているが、経営に関し、PostとTimesでの対立があったようだ。(PostとTimesのIHTとの関係は1960年代後半から続いていた)

気になるところは、TimesのIHTに対する経営関与とともに、IHTのオピニヨン誌としての独立性である。

IHT誌の記者であるPeter C.Goldmark Jr.は以下のように述べている。

"A change in ownership is intended," Goldmark said in a statement. "But there will be no change whatsoever in our commitment to quality, independent journalism. That is what we are, that is what we stand for, and that is what we shall remain."

またIHT誌の編集長 David Ignatiusは以下のようにも述べている。

he hoped the Times would maintain the IHT's role as an international newspaper. "The IHT is a great paper with a long history and a devoted readership," Ignatius said. "I hope the Times will respect the paper's traditions, its dedicated employees and its loyal readers."

我々の感覚からすると、新聞社が他の新聞社を100%子会社にするというのは、系列を除けば違和感を感じるが、Ignatiusは IHT の戦略について以下のように述べている。

The IHT's strategy in recent years has been to combine the strong journalism produced by its parents with reports from its own network of correspondents and stringers. The goal was to produce a newspaper that "spoke with an American accent," according to Ignatius, but maintained an international perspective.

ちなみにIHTは、日本では朝日新聞と記事の提携関係にある。日本では「朝日ヘラルド」という英字新聞が出版されていたはずである。

HIYORIみどり 「でどういうことなの? IHT誌がTimesよりの意見に傾きやすくなるてこと?」

KAZAみどり 「そんなこと聞かないでよ、IHTとかTimesをウォッチし始めてまだ10日も経っていないんだから! そろそろ忙しくなってきたんで止めようと思っていたら、この記事だったわけよ」

【風見鶏】金融安定化策、自民党の反発で発表見送り

青木参幹事長やら抵抗勢力に猛烈の猛烈な反発にあって、中間報告が見送られた。

日経によると、「税効果会計について2004年3月期までに米国並みの厳格な基準を採用するよう銀行に要求している。ただ株価などへの悪影響を懸念する自民党が反発」とある。

日経社説では「金融健全化へ首相が指導力を発揮せよ」として、「重要なのは、銀行の不良債権とその裏側にある企業の過剰債務問題の両面の課題解決に今度こそ本気で動くというメッセージを発信できるかどうかだ。その成否の責任は小泉首相が負うべきである」としていた。

一方、同日の朝日新聞社説は「国会論戦――こんな首相は見たくない」として、首相の自民党の顔色をうかがう、主体性のない指導力に落胆を隠せない論調であった。朝日は紙面で、竹中の事前調整不足、小泉首相との財政出動の点での意見のずれ、不良債権処理だけが突出した強硬路線では、各方面からの反発は当然と書いている。

私はこの中間報告の是非を問えるほどに経済通ではないのだが、「また先送りか」という思いは強い。自民党をはじめとする与党の実力者は、ではどういう代案があるというのか。セーフティーネットは必要だが、政策として代案を出せるのか。反対して足を引っ張るばかりで、代案をまとめて小泉に提示あるいは取って代わろうという気概はあるのかと問いたい。

不良債権処理が先にありきというハードランディングに批判が集中するが、入口論、出口論に終始する間は議論に収束は望めないような気がしてしまう。

青木参幹事長は「民間人ばかりの意見を聞いて、議員の声を聞かず、議会制民主主義に反する。失敗したら誰が責任を取る」と首相の手法を否定する。確かに私達は選挙で議員を選んではいる。しかし、彼らがどこまで国民の声を代弁してると言えるのだろう。(そもそも、今まで日本の経済失策で誰が責任を取っているのか)

都合の良いときだけ数の論理と議会制民主主義を振りかざし、首相がリーダーシップを発揮すると「ファッショ」だ「独裁だ」と騒ぎ立てる。駆け引きやまやかしはいいかげんにして、本当に再生への具体的政策を一刻も早く示してもらいたい。

HIYORIみどり 「でもさあ、不況って言うけど、本当に不況なの?」
KAZAみどり 「ものの値段も下がっているし、企業は利潤を以前ほどは得られなくなっているわ。だから多くのサラリーマンの給与も横ばいか下がっているわよね」
HIYORIみどり 「でも、それってバブル以前と比べたらどうなの?」
KAZAみどり 「業種によって違うでしょうね。どの業種であってもバブルのときよりは落ちているけど、バブル以前と比べるとどうかは分からないは。バブルで考え方まで変わったと思わない?一度覚えた甘さは忘れられないてことかしら」
HIYORIみどり 「銀行や企業が再生したら、またバブルみたいに景気がパーッとよくなるわけ?」
KAZAみどり 「それはないんじゃないかしら。結局私達がどういう社会を目指してゆくのか、どこに資本と労働力を投資するのか、私達の生活の豊かさとは何か、国際的な日本の役割は何か、というような理念は必要だと思うわ」

2002年10月22日火曜日

【風見鶏】都市再生関連法改正は悪法か? 

02/10/22 たけしのTVタックル

全てを見たわけではないが、「都市再生関連法案」は都会にダムを作るようなもので、ゼネコン利権から抜け出せていないという主旨のおしゃべりを展開していた。

私は法案自体が悪法であるかという判断ができるほどに詳しくはないが、「開発ありき」の姿勢が前提だとすると、はやりそれは本末転倒であるとは思う。2003年3月問題といわれるくらい、都心部ではオフィスが過剰供給される。オフィス需要量を見込んだ開発であったとは到底考えられない。

同法案がゼネコン最後の切り札という言われ方もするが、このような法律がなくては仕事が生まれないのだとすると、やはり建設市場は熟成産業となり継続的な発展が停滞したということなのだろう。市場は遅かれ早かれ、そのような経緯をたどるものだ。

成熟産業となった場合には、利幅も少ないため、賢明なる経営者は早々にビジネスモデルを変換するか撤退するというのがビジネスのセオリーだ。言うのは簡単だが、業態の転換は恐ろしくリスキーではある。

KAZAみどり 「ゼネコンていったい何なの?必要悪なのかしら?」

HIYORIみどり 「ゼネコンて響きも悪いわよね。公共事業がないと"銭来ん!" て言っているみたい、キャハハァ~。 あ、怒った?」

【風見鶏】「竹中金融相の原則を支持」

10.22 産経新聞

��V朝日ニュースステーションでも知らせているが、アメリカのテーラー財務次官が訪日して、竹中の経済政策にエールを送っている。彼はニュースステーションによると「Mr.ガイアツ」と呼ばれており、かつて日本の経済政策について強いプレッシャーをかけたことのある者だ。

テーラー財務次官は竹中の中間報告案について、「常識的で、意味がある」とし、改革にはコストが発生するが、問題を先送りすれば「かえってコストが増大する。先延ばしにする理由はないと述べたされている。

��SJ銀行頭取は、今回の銀行の自己資本査定の見直しなどについて「今までわたしたちは、手をつかってはいけないというルールのもとで、サッカーをやっていたつもりだった。それが突然、あなたたちのやっていることはフットボールだと言われても困る」とコメントしていた。

アメリカと日本の税制が違うのに、同じアメリカの基準で判断するのはおかしいと指摘するアナリストもいる。USJ銀行頭取の発言が正しいのか、あるいは、あるいはアメリカのスタンダードの押し付けなのか、これも議論が分かれるかもしれない。

HIYORIみどり 「でも、急に"あんたらの常識ちゃいまんねん"て言われても、困っちゃうじゃない」

KAZAみどり 「そうね、銀行幹部は首を洗って待ってなくちゃならないものね。最終的に銀行を助けたら国民生活は豊かになるのか、ということも見えないのよ」

【風見鶏】

02/10/22 産経新聞 社説onLine

22日付け産経新聞社説は、中国の北朝鮮への軍事力を含めた圧力を期待するとともに、「無条件に徹底的な査察による検証を求めるべきである」と主張している。22日付け USA Today も「Bush wants China's support  N. Korea's nuclear program will be 'issue No. 1' during Jiang's visit」という記事がトップに踊っている。

北朝鮮が崩壊した場合のシナリオはどうなるのか、難民が日本にも押し寄せるという以外のマイナス要因として何があるのか。真面目に議論されねばならない。

金大中大統領のもと「太陽政策」を維持する韓国の意図はどこにあるのか。韓国は北朝鮮を維持しようとしているのか、あるいは崩壊することを期待しているのか・・・韓国統一は悲願ではあるものの、大量難民の受け入れは難しいだろう。

日本は、北朝鮮の金正日体制を維持させたまま国交正常化を求めるならば、日本が安全であるという確証を得ることが前提だろう。日本にミサイルを向けている国と正常な国交ができるだろうか。北朝鮮をそれでも信じる、というのは、おめでたい としか言いようがない。核だけではなく通常兵器についても査察されるべきだと思う。日本政府は確たる外交的対応=日本を守る ということができるだろうか。

HIYORIみどり 「みんなが北朝鮮に目をむけちゃったわよね」

KAZAみどり 「そうでもないわ、インドネシアやイスラエルでテロが続発してるし、相変わらずブッシュはイラクに強硬よね。ワシントンのスナイパーも新たな犠牲者を今日出したみたいだし。なかなかオバカな話題はこのごろ少ないわ」


【風見鶏】 「北朝鮮の核、日本が標的」 

北朝鮮の核開発問題を協議するため来日した米国のケリー国務次官補が日本政府要人との一連の会談で、「北朝鮮の核のターゲット(目標)は日本だ」と述べていたらしい。別に驚くには当たらないだろう、北朝鮮の脅威は昔から指摘されている。テポドンだって日本を標的としているのだろうし、北朝鮮の「学習組」が、結局は日本の北朝鮮化を各策しているということなど、その筋では周知だろう。

日本に向けて、通常ミサイルが北朝鮮から発射されたとする。米国はそれをレーダーで察知できるので、日本の首脳に緊急連絡をする。しかし、日本にはそれを迎撃するハードも、ソフトもないわけだ。内閣官房あたりでオタオタしているうちに、ミサイルは着弾する・・・(アメリカだったら迎撃できるのか、というモンダイはあるが)

外交姿勢を含め、日本の安全補償をどう考えるか、てことが抜け落ちている平和ボケ日本の現状も困ったものなのだが、かといって、「有事法制」に全面賛成できないところが Kazaみどりちゃん つーか、Hiyoriみどりちゃん つーか・・・

HIYORIみどり 「あんたタカなの?」

KAZAみどり 「タカピーではないわ。ハトピーてのはなんだか美味しそうね。鳩が豆くらって逃げるんだから、情けないけどね」


拉致被害者の帰国は本人の意志か? 
02/10/22 阿部官房副長官談

「北朝鮮に帰るのは本人の意志を尊重したい」だって? あれれ、いつから彼らは北朝鮮人になったのだい? 本人の意志以前に、彼らを守ることを放棄してきた日本政府。今後はどういう保護とサポートを提示するの? 帰国後の就職、子供の教育・・・彼らだって日本での生活は、北朝鮮のそれ以上に不安だろうに。何も手を打たずに「好きにしていいよ」では無責任にもほどがあると思う。

マスコミも、いつまでも歓迎ムードの一過性のお祭り騒ぎを止めて、地に足のついた帰国支援キャンペーンでもはるべきではないか。

HIYORIみどり 「曽我さんはずいぶん、表情がやわらいだわよね~。蓮池さんも、い異雰囲気ね。”いつまでも新婚の雰囲気で”だって~」

KAZAみどり 「みんな忘れないで欲しいわね、こういう雰囲気で歓迎したことを、責任を持って欲しいわ」


2002年10月20日日曜日

【風見鶏】日本の技術レベル

ノーベル賞のダブル受賞で、日本の底力や企業の実力はまだまだ捨てたものぢゃないという意見も多いと思うが、田中さんは43歳。教育の荒波に巻き込まれるひとつ前の世代だ。おそらく共通一次試験の最初の世代なのではなかろうか。

現在の教育を続けていては、今後このような幸福な受賞は二度とないのではないかと不安になる。教育に関しても、企業活動にしても韓国、中国、インドなどに遅れをとりつつあると感じるのは私だけだろうか?

HIYORIみどり 「インドでは20までの掛け算を暗記するんですってね、すごいわあ」

KAZAみどり 「日本の小学生が九九でヒーヒ言っている場合ぢゃないわけよ、ヒーヒーてことは、1×1なんだし・・・」

HIYORIみどり 「相変わらず意味不明にサムイけど許すわ。私、7×6は6×7とか、8×4は4×8みたいに(小さい数)×(大きい数)と変換しないと値がでてこないの。横着して九九は半分しか覚えなかったの・・・許して・・・」

緊迫する国際情勢 2

10月19日付けのInternational Herald Tribune (電子版)を見ていたら「Korea atom effort: U.S.knew early on But North's admission was a surprise」という興味深い記事が掲載されていた。

これによると、米国は2年程前から米国は北朝鮮での核開発の疑惑について証拠をつかんでいたらしい。核疑惑の真相を確信しつつあるときに小泉首相の訪米の情報が届いたらしい。これについては、「A new debate within the administration ensued, but it was interrupted by the surprise announcement from Koizumi that he was making his own high-profile visit to North Korea.」と書いている。

そして、小泉首相は訪朝前の12日に、ワシントンにて核疑惑の証拠について伝えらたとしている。

更に米国は、核疑惑について日本が北朝鮮にプレッシャーを加えることを期待するとともに、10月3日から5日にかけて自ら北朝鮮と交渉を行い、核疑惑について証拠を突きつけたわけだ。米国は北朝鮮が核疑惑を認めるとは全く想定してなかったらしく、そこのところは IHT の記事は「A senior U.S.official said the delegation assumed the North Koreans would deny the charges, as they did the first day, and U.S.officials were prepared to freeze any cooperation」と書いている。このことこそ、アメリカの意図だったのではなかろうか。

記事は、アメリカが日本が日朝交渉を単独で勧めてゆくこと、更には北朝鮮が「悪の枢軸」から外れてしまうことを望んでいないというShigemuraのコメントを引用している。もしも、外れてしまったら、現在のアメリカとテロリストの戦いが、アメリカとイスラムの戦いということになってしまうことは、米国の望むところではないというのだ。

うーん、ここまでくると分からないねえ。

そんな記事を見つけた後、The NewYork Times(電子版)を見ていたら、曽我ひとみさんと結婚してるとされる、アメリカ人のJenkinsについて「News of Ex-G.I. in North Korea Only Deepens Mystery It was the unlikeliest of marriages」とする記事が掲載されていた。

これによると、Jenkinsは亡命したことになっているが、アメリカに住むJenkinsの家族はこの事実を信じてはいない、ネイティブな英語を教えるための人材として、同様に拉致されたのだと考えているらしいのだ。Jenkinsは拉致被害者が日本に渡るときに見送りに飛行場まで来ている。その際に日本の外務省官僚と会話をしている。日本に帰宅はないかという質問に対し彼は、「It might be difficult for me to vist Japan, until my situation improves」と答えているらしい。

米軍は長く、Jenkinsを亡命者として扱ってきている。それは1960年に彼によって家族に向けて書かれた farewell letter とラジオ放送をもとにしているというが、家族はその手紙そのものを偽者と主張しているらしい。家族は一度も手紙など受け取ったことがないと。

うーん、ここでも謎は深まるばかり。

世界情勢は推理小説よりも奇なりだ。朝鮮銀行のことまでは、書けなかったよ。今回は、引用ばっかりだなあ。


2002年10月19日土曜日

18日から臨時国会がはじまったが、産経新聞と読売新聞は、またぞろ個人情報保護法案と有事法案の成立に向けた論調を張り始めた(10月17日 両新聞社説)。同日の新聞では、イラクでフセインが100%の得票率で再選されたことも報道していた。23年間も大統領の地位にあるということそのものが異常で作為的と感じる。反米感情の高まりも後押ししているのだろうか。

米国は相変わらずイラクへの強行姿勢を崩さない。素行不良な生徒に「おまえは素行が悪いし問題を起こしやすい。ちょっと目を離すとアブナイ行動を取るから、ポケットに隠しているものを全部出しなさい」と、後ろ手にバットを握って迫る暴力教師のような感がある。10月17日付けのNewYork Times誌 と WashingtonPost誌(電子版)は、ともに「Bush Signs Iraq Resolution」(米大統領、イラク武力行使容認決議案に署名)が一面トップに掲載されていた。

ブッシュ大統領は、以下のように語っている。

Our desire is to help Iraqi citizens to find the blessings of liberty within their own culture and their own traditions, The gifted people of Iraq will flourish if and when oppression is lifted. When Iraq has a government committed to the freedom and well-being of its people, America, along with many other nations, will share a responsibility to help Iraq reform and prosper. And we will meet our responsibilities. That's our pledge to the Iraqi people.

イラクの国民、フセインに投票した人も しなかった人も、実際はどう考えているのか。

これは、北朝鮮についても同様だ。拉致被害者が思ったほど悲惨な日常生活(衣食住に関して)を送っていてはいなかったと知り、ほっとした人は多いだろう。しかし、実際の北朝鮮の実態はどうなんだろう。「親愛なる金正日総書記・・・」というフレーズを言わないと政治犯、実際の姿が見えてこない。

両方とも悪の枢軸・・・我々が見ているのは、地球から見える月面だけではないのだろうか。

てなことを考えていたら、10月18日の北朝鮮の爆弾発言だ。「N. Korea admits nuclear program」という見出しがアメリカの新聞(電子版)に踊っていたので驚いた。小泉首相が日朝国交正常化交渉を月末に控えたこの時期にである。18日のNHKニュースではトップ扱いでこの話題を報じていた。22時のニュースに出演していた解説員は「北朝鮮の瀬戸際外交という従来の考え方と、大いなる譲歩の第一歩という両極端の考え方がある」と述べていた。

10月19日の、日経、朝日、読売、毎日、産経の各誌社説(電子版)は、こぞって北朝鮮の「瀬戸際外交」を非難している。国際的にも非難されるべきだと。

ブッシュはイラクとは温度差があるものの、北朝鮮に対して強行姿勢(外交的手段)を講じることを強調している。と思っていたら、18日のNewYorkTimes誌(電子版)には「U.S. Says Pakistan Gave Technology to North Korea」としてパキスタンが北朝鮮に核開発の設備を供与しているという記事が踊っているではないか。

私には、この複雑な国際情勢を読み解く力がない。一体どうなるんだろう(@_@;;;

◇◇◇◇

このごろ海外の新聞(電子版)をヒマなときにウォッチしている。英語は不得手なので見出しとリードくらいしか読まないのだが、日本の新聞しか見ていないと気づかないことが書かれていて興味深い。

もっとも、9.11テロ以来、NewYork Times誌 や WashingtonPost誌の論調が変化したと指摘する人もいる。あからさまなブッシュ批判が影を潜めてきたというのだ。そういう点では、英語が得手ならイギリスの新聞(Guardianなど)やアジアの新聞(Asia Timesなど)も参照する必要があるんだろう 、実際はそこまでは目も時間も回らないが。

2002年10月18日金曜日

【風見鶏】朝日新聞朝連載「転機の教育」

朝日新聞朝連載「転機の教育」として、教育問題を考えるシリーズを連載している。文部科学省のゆとり教育に対するスタンスのブレに戸惑う教育現場、進学塾や中高一貫校への加熱などを取り上げている。家庭の所得や住む場所に起因する格差についても、読者の声などを紹介しながら展開、一方で総合学習などを含めた学校側の模索や取組みも紹介している。

私は「ゆとりばかり強調しても学力が低下する」とか「今までの詰めこみは弊害がある」とかの議論は一面的でしかないような気がしている。どちらも正しいし、どちらも間違っているように思える。

事実としてあるのは、大学生を含めた全体的な学力の低下(トップも平均も)、日本人の知力の低下と幼稚化である。このままでは国が滅びると思う。日本の教育に対する大きな考え方が必要なのではないのだろうか。小学校から大学院まですべて国が管理する教育体系、平等と均等であることを是とする方針についての議論は必要ないのだろうか。

HIYORIみどり 「要は文部科学省がばかってこと?」

KAZAみどり 「国民も輪をかけてヌケサクてことよ」


北朝鮮拉致被害者の帰国 3

北朝鮮から一時帰国した方々が故郷の土を踏んだ。過剰なまでの報道や歓迎ムードにいささか行き過ぎのように感じると書いた。昨日もある種の違和感を持って報道に接したのだが、暖かく迎えた家族や幼なじみとの再会の場面を見ると、やはり心に熱いものを覚えてしまうことは否定できない。(積極的に見たいとは思わなくてもTVニュースをつけると報道しているのだもの)

彼女あるいは彼らには、郷土での諸手を上げての歓迎は何よりの贈りものだったかもしれない。そっとしておいてやりたいと考える反面、こういうお祭り騒ぎのような歓迎の仕方も、良いのかもしれないと思うのだった。帰国当初の記者会見と今回のインタビューでの表情の違いを見るにつけ、彼女あるいは彼らの空白部分を少しずつ埋めていくのだなあと思った。

��V朝日の論説員がニュースステーションで述べていた。心のリハビリには静かな環境と、すべてを受け入れてくれる家族や友人が必要だと。故郷はそのどちらも満たしていたと。私のようなドライな考え方は、都会に住む者の無関心な考え方だったのかもしれないと思い直すのであった。ただ、ここまで歓迎しておいてムードが去った後には冷たく当たるというのではいけない。一時的な歓迎ではなく、末永いサポートであることを望みたい。

2002年10月17日木曜日

北朝鮮拉致被害者の帰国 2

拉致された方々について、次々に情報が流されている。一挙一動が全国民の目に晒されるような感さえある。マスコミは彼女あるいは彼らが何を食べ、何を話したか全て知りたがっている。

何かあれば家族会が記者会見にて話す。郷里に戻っても歓迎会と記者会見が用意されている。こういう状況は異常ではないのだろうか。

たとえば15日の帰国の日の各社のTVニュース。彼女あるいは彼らから得られる情報が微々たる物であったため、各局は再び今まで何度も何度も目にした、被害に遭ったときの場所や状況を、壊れたレコードのように繰り返し垂れ流した。ある番組は、彼女あるいは彼らの24年前と今の写真を拡大して並べ、番組の間中見せてくれるという親切さだ。24年間の時の重みを感じさせたいのだろうが、そんなことを、貴方ならして欲しいだろうか。貴方が今、幸福な状況にあるとしてもだ。帰国以前あるいは生死がわからない間は、24年前の写真は「記号」でしかなかった。しかし生身の人間が現在したその瞬間、それは「記号」なんかではなくなる。

こういう報道姿勢に違和感を感じないだだろうか。

ここで新潟の少女監禁事件(*)を思い出す。小学4年生だった少女を9年間に渡って監禁していたという異常な事件だ。あの事件では、被害者の人格と今後の社会復帰を考えて、報道は彼女に対してある程度の距離を置いた報道をしていたと思う。

その事件と、同じだとは言わない。でも、と感じるのは私だけだろうか?

結論から言うと、しばらくはそっとしておいてあげたいということだ。彼女あるいは彼らから、我々は感動をもらわなくても十分である。私たちは彼女や彼らに比べれば、はるかに安全で幸福な環境で、さまざまな刺激を受容しながら生きてきている。だから、彼女や彼らに悲劇の主人公のような役回りまで果させたくはないと思う。北朝鮮でも日本でも良い、彼女あるいは彼らが望む方法で、好きな場所で、普通に生活してくれればそれでいい、その結果を私は積極的に知りたいとは思わない。ましてや、日本と北朝鮮関係を変えて行くための役割を果すということは、本人の意志があれば別だが、酷すぎはしないだろうか。

ただ、北朝鮮問題、戦後の問題など、私には多くのことがわかってはいないのだが・・・

(*)2000年1月、9年前に失踪した当時小学校4年生の少女が9年2カ月ぶりに柏崎市で発見された。事件が起きた同県三条市から、わずか数十キロ離れたところである。少女は、誘拐したSex Offenderの男の家でずっと監禁生活を強いられていたのだった。男と少女は2階に住み、他人を一歩も入れず、階下には男の母親が召使同然の状態で住んでいた。少女は19歳になり、男は37歳になった。少女は直ちに親元に帰されたが、足掛け10年に及ぶ軟禁生活が彼女の今後の人生にどう影響していくのか。さらに、なぜこの男が警察の捜査網から漏れていたのか。野放しのSex Offenderの現状とともに、二重の意味で国民は大きな衝撃を受けた。


2002年10月16日水曜日

北朝鮮拉致被害者の帰国

北朝鮮に拉致されていた5人の方々が帰ってきた。さぞかしつらい思いであったことだろう。24年ぶりの抱擁には万感の、言葉にはできない感情が詰まっていたのだろうと思う。まずはよかったと言いたい。

しかし、この歓迎ムードに水をさすようだが、ふと思うことがある。マスコミの熱狂的な報道と私を含めたそれを見る者についてだ。報道に接するものは、報道から何を期待しているのだろう。熱烈な歓迎と帰還の喜び、あるいは変わらぬ家族愛だろうか。マスコミは多くのドラマが込められているので、ここぞとばかりに煽るように報道している。

でも、私の場合、冷たいと言われればそれまでだが、どうしても白けてしまう。皮肉な見方かもしれないが、彼女あるいは彼たちに、心からよかったいう気持が起こる反面、彼女あるいは彼らが北朝鮮に洗脳されてしまっていること、あるいは人質として家族を北朝鮮に取られている不幸な状況を、彼らの発言から読み取りたいと無意識のうちに思ってはいないか、そして、やっぱり北朝鮮は不気味で変な国だと再確認したいと思ってはいないか、と考えてしまうのだ。

最近閉幕したアジア大会での一シーンを思い出す。アジア大会には北朝鮮は美女応援団を派遣した。しかし彼女たちの不思議なそして違和感のある応援体操を見たとき、そこに北朝鮮の全体主義と総書記への絶対性に対する嫌悪に似た感情を感じた人もいるだろう。嫌悪の先にあるのは、北朝鮮は「アブナイ国」であるという認識(これもマスコミを通して喧伝されている認識だが)を新たにし、安心するようなところがないだろうか。

拉致被害者が「情報のカタマリ」という表現にもひっかかる。彼らはきちんとした人格と自我を持った人間であるはずだ。彼らは本当に不幸なのだろうか、いや不幸だったのだろうかと考えてみることは無意味だろうか。(間違いなく不幸な状況から始まったことは否定しないし、おそらく現在も不幸な状況=自由を制限された状況であるとは思う)

10月16日付のNewYork Timesは、日本の熱狂を横目に見ながらも「Abducted a Lifetime Ago, 5 Japanese Come Home for a Visit」として、帰国報道をトップページに掲載していた。米軍から脱走したCharles Robert Jenkinsのことに若干触れている点が、日本の新聞とは少し違うが論調は同じである。

拉致被害者の北朝鮮に残してきた家族が人質のようなものという点に関しては、「Pyongyang has said that the six children of the returnees did not want to accompany their parents to Japan. But in Tokyo, the Japanese grandparents said the children were being held as hostages」と言及するにとどめているようだった。

NewYork Times 記事は最後に「拉致して殺してしまう」という小泉首相の発言を紹介して終わっているが、米国にとってはどのような事件として写っているのだろう。少なくとも NewYork Times からは、悪の枢軸論を印象付ける記事という感じは受けた。ただし今の米国の主要話題は、ブッシュVSアルカイーダ(バリ島テロを含む)と連続狙撃事件である。Wasihngtonpost や Wasihington Times には拉致問題に関する記事は、トップページには確認できなかった。NewYork Times の記事が異例なのかもしれないが。(新聞は各誌のHPであることをお断り致します)

拉致問題には、第二次大戦中の日本と朝鮮の関係や補償問題、補償、拉致問題に関する歴代首相と外務省の無責任と無対応ぶり、北朝鮮脅威論と柔和策など多くの問題が絡んでいる。帰国報道のみが前面に取り上げられる報道には違和感を感じてもいる。


2002年10月10日木曜日

悪意を前提に生きるということ

ネットでの書き込みを読んでいると、ネットで嫌な思いをしている人が意外に多いようだ。インターネットをやめてしまった人もいれば、自分の文章を利用されてしまっている人もいる。不特定多数を相手に公開している以上、HPの悪用という懸念はつきまとうし、迷惑メールも覚悟しなくてはならないし、ウィルスやハッキングも日常茶飯事だ。「ネットに存在する悪意」を前提にネット生活を送るということは、もはや常識であろう。

これはネット生活ばかりではなく、実生活においても同様の状況なのだと思う。以前は考えてもみなかった「悪意」を意識するということは、特に今までそういう意識のなかった私達には少しばかり気の重い作業である。特に性善説の立場を取る人には「悪意」を意識することには罪の意識さえ伴う。事故防御として当然と言われればそれまでなのだが。

最近の事件から感じることは、「悪意」の質が変わってきたように思えることだ。例えば少し前に起きた札幌西友元町店での偽装客問題。偽装肉を販売したと言うこと自体、販売行為における「悪意」であるが、その悪意を犯している者たちが、客に対しては「善意」を期待していたというのは皮肉な話しである。(売っていたのは皮肉ではなく牛肉だが)

犯罪者とて自分達の罪を棚に上げ、客の性善説を信じていたわけだ。そのようなバランスがもはや崩壊していること、更には自分達の悪意を、悪意とは感じていない倫理観の崩壊ということもこの事件は露呈しているように思えた。

ブッシュのイラクへの強行姿勢も、北朝鮮拉致問題にしても、相手国の「悪意」を前提にした政策が前面に打ち出されている。攻撃される前に撃つというのは鉄則ではあるにしても、別の方法がないものかと思わざるをえない。特にイラクへの強行姿勢にはブッシュと石油メジャーのつながりもちらほら見えるため、さらに気分が悪いのだが・・・

モラルハザードとも呼ばれるこれの意識の変容が、経済や教育と深い関わりがあるのだとしたら、暗澹たる気分は、さらに晴れることはない。

2002年10月5日土曜日

マンハイム学派のフルート曲を聴く

秋らしく、しっとりと落ち着いたCDで音楽でも入手しようと、札幌駅前山野楽器(LOFT店)に行ったところ、ワゴン販売の中に5枚組ボックス1,750円という信じられない値段のCDを見つけた。内容は、18世紀のいわゆるマンハイム学派の作曲家のフルートコンチェルトを集めたものらしい。C.P.E.バッハ、クヴァンツ、シュターミッツ、ホフマンなどはフルートが好きな人などにはおなじみだが、ボッケリーニなどは名前を聞いたことがあるのみ、他は全くの初耳。


Flute Concertos
Danzi, Benda, Hoffmeister, Stamitz, Et Al CD Flute Concertos




    • BRL99745
    • Brilliant Classics

    フルーティストはアンドラーシュ=アドリアンとペーター=ルーカス=グラー、そしてイングリッド=ディングフェルダーの3人。激安もここまでくると、CDの有り難味が薄れるが安くて悪いわけはない。廉価版にありがちで解説は薄い見開きのものが1枚のみだが、これは仕方がない。

    マンハイム学派のフルート

    マンハイム楽派とは18世紀のドイツのマンハイムにおいて、Karl Theodor(1724-99)の頃に花開いたもので、作曲家としてはJohann Stamitz(1717-1757)などが有名だろう。マンハイムの宮廷音楽のためにオーストリアやイタリアなどから作曲家や演奏家が集められ、高い芸術性を誇ったとされている。中でも、マンハイム楽派の功績としては、現代の交響曲や協奏曲の基礎を築いたこととされている。18世紀中盤といえば、バッハ、ハイドン、そしてモーツアルトなどが活躍した時代である。マンハイム楽派は、当事のヨーロッパから終結した優秀な才能が、バロック音楽とは袂を分けた音楽形式を確立させたといえよう。

    その詳細は音楽史の書籍に譲りたいが、特徴的な点を何点かあげるとするならば、クレッシェンドやディミヌエンド奏法、極端なフォルテやピアノ、そして交響曲における急-緩-急の三楽章からなる従来の形式から、四楽章形式の萌芽を見ることができるということになろうか。また、音楽を聴いた印象だが、従来のバロック音楽と比べても、より自由にして感情表現的な音楽になっていたのではないかと思う。そういう意味からはロマン派への橋渡しのような役割も果たしているのだろう。

    残念ながらマンハイム楽派はKarl Theodorがミュヘンに都を移した1778年頃から勢いを落とすこととなるが、同時代や後世の作曲家(もちろんモーツアルトやハイドンにも)大きな影響を与えている。実際、モーツアルトは1777年から翌年にかけてマンハイムを訪問しており、当時ヨーロッパ一とうたわれたマンハイマー・ホーフカペレ( Mannheim Hofkapelle ; court orchestra )の大編成オーケストラと新しい音楽に大いに刺激をうけたとされている。

    聴いてみたのは18世紀のヨーロッパのフルートコンチェルトを集めた5枚組のアルバムである。主な作曲家は、マンハイム楽派のCarl Stamitz(Johann Stamitzの息子)、プロシアのフリードリヒ大王の宮廷音楽家として活躍したC.P.E.Bach、フリードリヒ大王のフルートの師でもあったQuantz(「クヴァンツのフルート奏法試論~バロック音楽演奏の原理」でフルート関係者には有名)、バイオリン奏者のFranz Benda、そして当時ウィーンで活躍していたHoffmanなども含まれている。

    マンハイムにはイタリアからも何人かの作曲家を招かれている。5枚目のCDにはBoccheriniをはじめとして4名のイタリアの作曲家の手になるフルートコンチェルトが納められており、18世紀ドイツのフルート音楽を知るには格好の資料となっている。

    レーベルはBrilliant Classics(99745)、演奏はランパルの弟子でもある名手、Andras Adorjan、フルート関係者には教本でも有名な Peter-Lukas Graf、そして Ingrid Dingfelder 、上のジャケットの絵ははフランスロココ美術の代表作でフラゴナール(1732-1806)の手になる「恋人の戴冠」である。


    FRANZD ANZI ( 1763-1826 )





    1. CONCERTO No.1 Op.30 in G majo 
    2. CONCERTO No.2 Op.31 in D minor
    3. CONCERTO No.3 Op.42 in D minor
    4. CONCERTO No.4 Op.43 in D major
    • Andras Adorjan(fl)
    • Munchener Kammerorchester, Hans Stadlmar
    • Licensed from Orfeo International GmbH, Germany (1981)
    Franz Danziは作曲家であり、マンハイムオーケストラのチェリスト奏者であった。この頃のシンフォニーやコンチェルトは急-緩-急という構成が一般的であったが、No.4 (Op.43)は、短い緩やかなフレーズから開始されAllegroフレーズを導いていることが特筆される。これは、Haydn (1732-1809)のシンフォニーで顕著な特徴である。
    それ以外の3つのコンチェルトは当時の慣習に沿った形式ではあるが、バロック音楽とは異なった宮廷音楽の響きが聴こえている。音楽は煌びやかで劇的で、独特の明るさに満ちており、フルートの名人芸も充分に堪能できる曲である。
    興味深い作品と聞かれたならば、No.2 (Op,31)を挙げるだろ。弦楽器による不安気なテーマに開始され、フルートの音色がオーケストラとの対話の中からたち現れてくる。曲調はどことなくモーツアルトのドン・ジョバンニを彷彿とさせる部分がなきにしもあらずである。三楽章はPolaccaでありフルートが自在に駆け回るその快感。
    Adorjan のフルートは1点の曇りもなく磨き上げられた銀細工のような雰囲気、抑制の効いた芯のある音色はストレートにからだの隅々まで行き渡り、その一音目から天上の至福を与えてくれる。
    (2002.10.05)

    FRANZ(FRANTISEK)BENDA ( 1709-1786 )




    1. CONCERTO in E minor
    2. CONCERTO in A major
    3. CONCERTO in A minor
    • Andras Adorjan(fl)
    • Ars Redivia Ensemble Prague, Milan Munclinger
    • Licensed from Orfeo International GmbH, Germany (1984)

    Bendaはチェコ(ボヘミア)からドイツに亡命してきた音楽一族である。彼自身作曲家であり、またバイオリン、ビオラ奏者でもあった。 プロシア皇太子(後のフリードリヒ大王)に認められ、宮廷楽団のコンサートマスター(Kapelmeister)として活躍したとある。フリードリヒ大王のもとには、C.P.E.バッハやクヴァンツ(Quantz)や、グラウン兄弟(Graun Brothers)なども働いていた。
    右の絵はサンスーシ宮殿においてフリードリヒ大王がフルートの演奏を披露しているものだが、ハープシコードはC.P.E.バッハ、そしてバイオリンがFranz Bendaである。ここに納められている三つのフルート協奏曲も、こうした宮廷での演奏を前提としたものであろう。
    曲はは三楽章形式で古典的な形式に沿っているが、弦楽器の伴奏にハープシコードの音色が加わり、フルート独奏を際立たせている。それぞれの楽章に挿入されたカデンツァではフルートの技巧がフルに発揮されているようで聴きごたえがある。
    それにしても、Bendaの名前はこのCDで始めて知った。現在ではバイオリン協奏曲を含めてほとんど演奏の機会はないのではないだろうか。演奏会プログラムでもBendaの名前を目にしたことはない。当事の評判はかなりなものであったようだが、時代に埋もれてしまった作曲家ということなのだろうか。
    Adorjan の演奏はここでも冴え渡っているのだが、Franz Danzi の演奏と若干音色に変化が認められるのは録音のせいだけだろうか。3年という間にそれほど大きな変化が(このような大演奏家において)生じるとは思いにくいのだが、こちらの演奏の方が、どことなくふくよかな広がりを感じさせるものとなっている。
    これも蛇足だがジャケットの絵は、やはりフラゴナールの代表作「ぶらんこ」の一部である。
    (2002.10.06)

    FRANZ HOFFMEISTER (1754-1812) CARL PHILIP EMMANUEL BACH (1714-1788)




    1. FRANZ HOFFMEISTER / FLUTE CONCERTO in D major
    2. C.P.E. BACH / FLUTE CONCERTO in D minor Wq.22
    3. FRANZ HOFFMEISTER / FLUTE CONCERTO in C major

    • Ingrid Dingfelder(fl)
    • English Chamber Orechestra,Sir Charles Mackerras,Laurence Leonard
    • Licensed from ASV,UK,Recording:1979

    C.P.E.バッハは大バッハの次男であり、マンハイム楽派の音楽家たちとは離れ、フリードリヒ大王のもとに30年ほど仕え、その後、テレマンの後任としてハンブルグの5つの教会で音楽監督を務めている。当事はバッハといえばエマニュエルを指すほどであったという。
    一方、ホフマイスターは作曲家や音楽家としてばかりではなく、出版者やモーツアルトの後援者のような立場にもあったらしい。彼のためにいくつかの作品も書いているとのこと。
    どちらの音楽も、フルートの技巧と管弦楽の華やかにして自由で瑞々しい音楽を聴かせてくれている。ホフマイスターの音楽は、確かにモーツアルト的な響きに満ちているとも言えようか。ここでもフルート独奏によるカデンツァは聴き所で、まったくもって奏者の音楽性にはつくづくと感心してしまう。ただ、短調だろうと長調だろうと、深刻な感情表現をしているロマン派の音楽ではなく、やはり耳障りのよい宮廷音楽である、なんだか続けて聴いていると、どんなに名人芸であったとしても飽きてくることは否めない。(第一楽章でのフルートの登場の仕方、カデンツァの入り方・・・など、お決まりの安心感はあるが)
    余談だが、当時は王や皇帝が作曲家であるということは珍しいことではなかった。フリードリヒ大王はフルート(トラベルソ)も吹き、作曲もしていた。彼のもとに優秀な音楽家が集まり、多くの名品を残しはしたが、音楽の隆盛と創造は長くは続かなかったようだ。音楽家達がマンネリに陥ったり、フリードリヒ大王がフルートに執心すぎたことにも原因があるのだろう。何とフルートの師であったクヴァンツは、王のために296ものフルート曲を作曲したというのだから!
    この盤のフルート奏者はIngrid Dingfelder という方であるが、私はこの名前ははじめて聞く。音色は軽やかであるものの、Adorjanの芯のある音を聴いた後では、少し食い足りない印象を受けてしまう。まあ、録音のせいなのかもしれないかが・・・
    ちなみにジャケットの絵は、これもフラゴナールの「めかくし」。当時目隠しは「恋は盲目」の意味であったとか・・・。
    (2002.10.07)

    JOHANN JOACHIM QUANTZ (1697-1773) CARL STAMITZ (1745-1801) JOSEPH STALDER (1725-1765)




    1. JOHANN JOACHIM QUANTZ / FLUTE CONCERTO in G major
    2. CARL STAMITZ / FLUTE CONCERTO in G major
    3. JOSEPH STALDER / FLUTE CONCERTO in B flat major

    • Peter-Lukas Graf(fl)
    • Zurcher Kammerorchester, Edmond de Stoutz,Wurttenbergisches Kammerorchester,Jorg Faerber
    • Licenced from Claves Records SA, Switzerlandx(1978)

    このCDにはクヴァンツとカール・シュターミッツのフルートコンチェルトが納められている。カール・シュターミッツはマンハイム生まれの作曲家で、バイオリン奏者でもありビオラ奏者でもあった。若い頃からヨーロッパ各地で演奏活動をし、1794年から死ぬまではイエナで首席バイオリン奏者として勤めた。
    クヴァンツは以前も述べたようにフリードリヒ大王のもとで作曲およびフルート演奏、そして大王のフルートの師として活躍していた。フルートに取り組む以前はヴァイオリン、オーボエ、トランペット奏者としても傑出していたらしい。クヴァンツはフリードリヒ大王のもとで長年働らき大王のために多くのフルート曲を書きはしたが「最も従順なしもべ」では決してなかったと伝えられている。
    また、クヴァンツが「フルート奏法試論」(1752年)を大王に捧げる形で書上げた1年後に、同じく大王のもとで働いていたC.P.E.バッハも「正しいクラヴィーア奏法試論」を出版している。その両者に共通する規則を比べてみると、まるで内容が異なっているらしい。私は音楽を専門としていないので、その違いに言及することはできないが興味深い話ではある。
    さて、前置きが長くなったが音楽の方は非常に良い、曲も演奏も秀逸である。特にグラーフの笛は素晴らしい、低音から高音まで張りと力感に満ちており、フルートはかくあるべしという印象。音楽がかっちりとした骨格で浮き上がってくる。3つの曲の中ではクヴァンツも良いが、シュターミッツの曲が良いか。覚えやすい曲調は明るさと瑞々しさに満ちており、喜びに満ちた曲である。
    ジャケットはイギリスロココを代表するゲーンズボロの「画家とその妻」である。収録曲とのつながりは全く見出せない。
    (2002.10.11)

    ITALIAN FLUTE CONCERTOS GIOVANNI BATTISTA PERGOLESI (1710-1736) NICCOLO PICCINNI (1728-1800) LUIGI BOCCHERINI (1743-1805) SAVERIO MERCADANTE (1795-1870)




    1. GIOVANNI BATTISTA PERGOLESI / FLUTE CONCERTO
    2. NICCOLO PICCINNI / FLUTE CONCERTO
    3. LUIGI BOCCHERINI / FLUTE CONCERTO
    4. SAVERIO MERCADANTE / FLUTE CONCERTO
    • Peter-Lukas Graf(fl)
    • Orchestra da Camera di Padova e del Veneto, Bruno Giuranna
    • Licensed from Claves Records SA, Switzerland (1991)

    最後のアルバムは同時代のイタリアの作曲家のフルートコンチェルトである。
    PERGOLESIはオペラ(喜劇)や悲しみの聖母の歌で名前が知られている。ボーカルのみならず室内楽やオーケストラでも新しいスタイルの音楽を生み、現代のオーケストラのスタイルに影響を与えている。PICCINIはマンハイムから離れ、パリで長く活動していたが、グリュックのオペラ形式に対する敵対者として知られていたようだ。BOCCHERINIはDANZIと同様に最初はチェリストとして知られていた。彼はマンハイムでの滞在にて多くの影響を受け音楽的に飛躍した。後年はスペインのリズムにも影響されている。最後のMERCADANTEはロッシーニやヴェルディにつながる代表的な作曲家である。
    さて、曲の方だがイタリア的というのがどういう音楽なのかは説明できないが、明るく耳障りの良い音楽が、グラーフの笛によって聴くものを浮き立たせ、魅了してくれる。ただ、このテの音楽を5枚も聴いてきたので、やっぱり飽きてしまうこと否めない(^^;; 音楽の専門の方なら、5枚のCDを通して音楽様式の違いなどを聴き取ることができるのだろうが、私にはさっぱり、そういうことも分かりませんでした。
    さて、最後のジャケット絵もゲーンズボロの「アンドリュース夫妻」。なぜイタリアの作曲家にイギリスのロココを代表する作家のジャケなのかは理解に苦しむ。
    (2002.10.12)


    18世紀中期の作曲家のフルートコンチェルトを聴いてきたが、改めてこの時代には多くの作品が埋もれていることを認識させてくれた。コンサートプログラムや発売されるCDは、バッハ、モーツアルトなどの作品が多いが、ここに紹介された作曲家などはもっと取り上げられても良いのではないかと思うのだった。

    「バッハやモーツアルトと比べると音楽の深さが違う」という評はよく耳にするのだが、あまり難しいことを考えなくてもよい場面もあるのではないかと思わないでもない。