2002年10月25日金曜日

拉致被害者の行方

どうもよく分からない。拉致被害者を帰国(北朝鮮)に返さないだとか、子供ともども日本に永住させるべきだとかいう議論だ。

拉致は国家の主権を侵されたのだ、まず国が北朝鮮に返さないと主張することに賛同するという意見もある。24年間の無責任を取り返すということなのだろう、国家としては当然の行為とは言える。一方、24年間も待ちつづけた家族の気持もわからないでもない。待って待って、やっとここまで辿り着いたという思いだろう。

でも、拉致されたという方々にも人生がある、しょっているものがある。不幸なる出来事により、考えもしなかった境遇に陥ったが、今までは北朝鮮で、それほどの不自由なく生活していたのだろうと思う。それを、よってたかって、おまえらは不幸だ、日本に戻れの大合唱。

「おまえは不幸な状況だ、状況を見極めろ」と言う事は、彼女あるいは彼らの、精一杯の24年間を否定しさることである。それはあまりにも残酷なもの言いのように響く。

彼女あるいは彼らの「不自由ない生活」がどこまで保証されたものであったのかは、今のところ分からない。また彼女あるいは彼らの言う「幸福」は歪められた現実の上の楼閣であるのかもしれない。北朝鮮が金正日による社会主義独裁政権で、さらに米朝合意に違反するような反社会的行動を取る未成熟な国家である。あるいは、情報、思想など自由主義の思想からは到底受け入れることのできない統制を国民に強いていることが伺えるし、一部のエリートたる高級官僚と一般市民の間には生活面で大きな断絶のあることも確かなようだ。北朝鮮に住むことの利点は、我々から見ると一つもないと思える。

それでも、彼らの日本えの永住帰国ということには、今の段階で疑問と不安を感じる。日本に永住するとして、仕事は、子供たちの教育は、住む場所は、いったい誰が面倒をみるのか。

以前私は、何が幸福か考える必要があるかもしれないと書いた。北朝鮮は横田さんの娘を、国家のプロパガンダに利用するほどの国である。人の人生を国家に巻き込んで平気である。しかし、日本においても拉致問題を政治の手段としてはならないような気がする。拉致と国交正常化は切り離して考えるべきなのかもしれない。

横田めぐみさんの娘さんのように、他の子供たちも「拉致された」という現実に、いつかは向き合う必要はあるのだろう。助言は必要だし助けもいるだろう。しかし、本当に幸福なことというのが何なのかは、本人たちが選択するものだ。そして日本は私たちがすすめるほどに幸せな国なのだろうかと自問せざるを得ないのだ。

いずれにしても、いまの状況は、私には痛々しくて正視できない。

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