2002年12月30日月曜日

2002年を振り返る・・・か

年末であるので今年一年を振り返るという番組が、あいも変わらずTVや新聞で繰り返し報じられている。そういう番組に教えていただくまでもなく、今年は不本意にして激動の一年だったと言えるだろう。日本の悪さが一気に噴出してしまったという気さえする。

ムネオ疑惑や議員の秘書給与疑惑といった、どちらかというと小粒の瑣末的なスキャンダルに隠れて、日本はわたしたちが意図しない方向へと舵取りをしてしまっているような不安に襲われる。それは日本だけではなく世界も同じだ。911テロを経験した世界は、アメリカ帝国主義と各国の覇権主義が衝突をはじめたと言ってよいのかもしれない。ロシアの西側への転向、中国の台頭など世界地図を塗り替えるような兆しも見えてきている。

日本はあいも変わらず経済的な不況、あるいは政治的な膠着状態から脱皮することができないでいる。構造改革が必要なことは分かっていても、複雑にからみあった利権と保護規制の網から自由である者など少数でしかないという現実を考えると、構造改革を肯定することは自らを否定することに繋がるという矛盾を抱えてしまっている。抵抗勢力は誰彼ではなく自分自身なのである。

年末のTVの街頭インタヴューを聞いていると「来年こそ景気が良くなって欲しい」「なにか元気がでる話題が欲しい」「子供たちが幸せであれば良い」との答えが返ってくる。でも、ちょっと待って欲しい、景気さえ回復すれば皆元気になって幸せになるのだろうか。過去を考えるとYesと答えるだろうし、ちょっと思い馳せればNoとも答えるだろう。

景気が良くて給料(使える会社経費も含む)は高いけれど、仕事も忙しいため日々反吐が出るほどに仕事をし、たまの休日には皆が目の色を変えてモノや消費やサービスに走るという状況が幸福な風景とは思えない。職住近接とか、まことしやかなキャッチフレーズで都市が無秩序かつ野蛮に開発されてゆく状況も好ましいとは到底思えない。

極論かもしれないが、戦後の朝鮮戦争によって特需景気の恩恵を得たように、米英による中東戦争のため日本の景気が例えば一時的に良くなったとして、それをもって幸福だと感じることができるだろうか?

では、何が幸福かというビジョンもその実描けないでいる。今の大人たちが子供たちに希望を語ることができなくなってしまったのだ。政治にも希望を託せるような状況ではない。小泉なきあと石原東京都知事に期待する風潮まで醸成されつつあるというのだから、イハハヤ・・・・なんとも酷い世の中だ。

憂鬱になる材料は山のごとしだ。来年とて、これらに光明がさすとは全く考えられない。自分ではどうにもならないことを考えて鬱々とするよりは、いましばらくは音楽でも聴いて呆けていた方が、やはりマシというところか。

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