2003年1月7日火曜日

アムランによるゴドフスキーのアルバムを聴いて


アムランのピアニズムには接するたびにたまげてしまう。今聴いているのはゴドフスキー (LEOPOLD GODOWSKY 1870-1938) のグラン・ドソナタとパッサカリアだ。(HYPERION CDA67300)

私はピアノについての知識がほとんどないので、ゴドフスキー作曲のソナタと、パッサカリア(シューベルトの未完成交響曲のテーマを用いた44の変奏曲)がどのくらい難しいのかを真に理解することは出来ない。しかしネットでゴドフスキーあるいはアムランを調べるたびに、いかに恐るべき曲であることを知るのだ。



もっとも人は音楽を聴いてそれが難曲であり技巧的に難しいから感動するのではない。曲芸のような演奏からは、人をたまげさせることは出来ても感銘を与えることはできない。果たせるかな、アムランは単なる曲芸師でもキワモノなどでも決してない。


アムランはどちらかというと、かなりマイナーな作曲家をマイナーなレーベル(英hyperion)と録音しているが、彼の弾く馴染みのない曲からは、名状しがたい新鮮な感動をいつも感じることができる。

曲が素晴らしいのか、あるいはアムランの技量が卓越しているのか私には判断できない。彼が好んで弾く曲集が、アムランの技量をして初めて真価の発揮できるたぐいの曲であるのかもしれない。

こんなことを書くと、ろくにショパンも知らず、ホロヴィッツもリヒテルもコルトーも満足に聴いたことがない人間が何を戯言を言うかと思う人も多いと思う。私も大きな声では言えないが、そういう考えを否定しきることができない。このような感覚がクラシック音楽を狭い範囲に限定するものだとアタマでは理解していても、ジッサイのところアムランてどうなんだ?と思ってしまう。どなたか聴かれた方いらっしゃいますか?