2005年9月29日木曜日

[読書メモ]丸山眞男

丸山の思想メモ


  • タコツボ-官僚的、ササラ-通奏低音(バッソ・オスティナート)。丸山を捉えて話さなかった音楽。
  • 日本の思想や制度に対する輸入感
  • 自発的ないしとしての思想、民主でないこと。過去のアンチテーゼとしての現代
  • 思想史の中でササラに対応するものとしての天皇制
  • 「である」静的、身分・階級 → 「する」動的、能力主義
  • 丸山と福沢諭吉



2005年9月28日水曜日

歌舞伎:「殺し場」の美学と「平家蟹」


渡辺保氏は著書「歌舞伎」において、歌舞伎の「殺し場」を「陶酔の場所」と副題を付け以下のように説明しています。


��歌舞伎の殺し場が)かほどに甘美で美しいのはなぜなのか。(中略)そこに実は歌舞伎の本質がある。「殺し」の瞬間において役者の身体がもっとも美しく見えるからである。(中略)歌舞伎はその殺人の甘美な身体の意味をただ絵にして見せただけだ。別にサディスティックなあるいはマゾヒスティックな趣味の産物ではない。(「歌舞伎」渡辺保著 文庫版P.268-269)


殺しの場面における精神と肉体の緊張が極度な凝縮、そこに甘美な陶酔を誘う役者の身体の緊張した輪郭が現れ、これがこそが歌舞伎の美学だと説明しています。


本書では「××殺し」と呼ばれる六つの演目と、「××斬り」といわれる二つの演目を紹介し、さらに詳しく「殺し場」について説明しています。「××斬り」とは、吉原百人斬りの「籠釣瓶花街酔醒」と油屋十人斬りの「伊勢音頭恋寝刃」のふたつのこと。

「××斬り」の方は幸いにして両方とも観る機会がありました。「籠釣瓶」において勘三郎演ずる次郎左衛門が、玉三郎の八ツ橋を斬った場面は(演技が大げさすぎるという批判も目にしましたが)思えば本当に印象的な場面でした。まさにあの一瞬のためにあの演目が存在すると言っても過言ではなかったかもしれません。玉三郎の死に様が余りにも美しすぎるため、その美しさに素直に陶酔することに対し反発さえ覚えたものです。分かりやすい「美しさ」とは言い換えるならば「俗っぽさ」をも併せ持つ、それ故に「俗さ」を許容できないという勘違いした態度です。しかし歌舞伎というもののあり様を考えてみれば、玉三郎の「死に様の美しさ」に陶然とした方が余程素直であったのかもしれません。


似た様なテーマの「伊勢音頭」は、殺される側は勘三郎が演ずる万野でありましたから「殺し場の美」というものは感じませんでした。むしろ、鞘走って過って傷させてしまったことによって、彼の中で何かが崩壊してゆく。連続した殺しの場面は適度に様式化されており、静かに人を次々と斬る貢からは妖刀の魔力や狂気が表現されていたように思えます。血糊の付いた衣装で逃げ惑う人が登場する様には少し驚きましたが、それでもナマなグロさは減じられていたようです。


ところで、九月大歌舞伎の「平家蟹」です。これは岡本経堂作で福田逸氏の演出なのですが、これがどうも後味が悪い。玉蟲が玉琴と那須与五郎を毒殺する場面なども、それでも冗長過ぎる上に、苦しみ方がヘタにリアルであるため芸に違和感がある。今月の歌舞伎座のガイド本によると芝翫丈の発案で原作に相当手を入れたとありますが、照明や音響効果を含めて歌舞伎の枠を少し広げる演出は効果的であったのかも疑問です。


経堂の主題である「狂気・執念」は嫌という程に伝わってくるものの、逆に玉蟲持っている時の流れや源氏に屈さない潔さは相殺されてしまっていないか。「妄執」を全面に打ち出すのもいいのですが、それでも殺しの場面がむご過ぎてまた滑稽でちいとも美しいと感じる場面がない。


福田氏は決して今風に新奇なことをしたわけではないが(中略)近代古典を現代に活かし、更にそれを次世代に受け渡したいといふ芝翫丈の熱い想ひを、なんとしても実現させたかったと先のガイド本に書いていますが、私はもう一度「平家蟹」を観たいという気にはなれません。また歌舞伎の演出がいたずらに「リアル」に近づくのは、私にはあまり好ましいものとは思えません。劇は理解しやすくなりますが、何か大切なものがゴソリと抜け落ちているような感覚を覚えますが、いかがでしょう。


ちなみに岡本経堂の「平家蟹」は明治45年の大阪浪速座で六世梅幸の玉蟲で初演された新作歌舞伎。玉蟲は誇り高い平家の女官。かの屋島の合戦で那須与市に射抜かれた檜扇をかざしたのが玉蟲と紹介されます。生き残った彼女の平家に対する怨念ただならぬというのに、玉蟲の妹玉琴は何とあろうことか那須与市の弟の那須与五郎と末を誓ってしまうのです。玉蟲は二人を許し祝言を挙げるフリをしながら、神酒の中に混ぜた平家蟹の毒肉で二人を毒殺し、自らも平家蟹に誘われるように壇ノ浦の海へと誘われてゆき幕となります。


縁の下に蠢く平家蟹も不気味ですが、何よりも、のたうち苦しむ二人を冷徹に見据える玉蟲の怨念が恐ろしい。それもこれも、歌舞伎でありながら演出や台詞が現代劇に近いせいでしょうか。底知れぬ暗さが全体に漂い殺しの場面だけではなく歌舞伎の持つ形式性や美学が非常に薄いように感じました。

2005年9月25日日曜日

渡辺保:「歌舞伎~過剰なる記号の森」

歌舞伎評論の第一人者である渡辺保氏による歌舞伎の解説書。もともと新曜社シリーズの「ワールドマップ」の一冊として企画され現代の思想、風俗、社会現象、文化などを記号論によって分析しようとしたものであったそうです。


記号論云々は私にはさっぱり理解できませんが、渡辺氏の歌舞伎に対する真摯な考え方に触れることができることと自分の中での歌舞伎観を再構築する意味において非常に有益な書でした。





私がこの本を書くことを決心した理由はたった一つしかない。私自身の歌舞伎の美学というものを書きたかったからである。(「口上」P.10)


まさにこの一言に、渡辺氏が歌舞伎の中に何を観ているのかを理解することができます。幼いころから陶然として役者を眺めてきた渡辺氏には、歌舞伎かくあるべきという信念と真摯な熱意が溢れています。面白いのは彼の本書に対する姿勢です。最初に歌舞伎の美学を書くと言っておきながら、


ところで私たちの歌舞伎の美学というものが一体どういうものであるのかは、いまのところ私にもまったく分からない(「口上」P.12)


などと書いています。本書は「解説入門書」の類とはその本質を全く異にしていると続け、


この本は、そういう私自身の自己証明のために書かれ(私と同じような感心をもたれるごく一部の方々のためにのみ書かれ)る(「口上」P.12)


としています。とは言っても偏狭な知識や見解をひけらかしたり、引用だらけの凡百の書とは雲泥であり、また難解な歌舞伎論が展開されているわけではなく、少しでも歌舞伎を面白いとか魅力的であると感じたことのある人には、充分に納得できる内容が散りばめられておます。とくに本書を読み進めると、あたかも歌舞伎の舞台が眼前に展開されているかのような心持ちになるところは流石でしょうか。


彼が本書をしたためた意図を再度確認しますと、P.13でもう一度繰り返される自己証明の意味をもつ書物自分の内なる歌舞伎を分析することによって時代の証言台に立ちたいということでした。その裏には今現在も変遷を続ける歌舞伎というものがあり、歌舞伎を観て育てている観客というものがあり、それらを含めて変遷しつづける世界の存在を渡辺氏は示唆しています。


以前も触れましたが、歌舞伎が変化する理由については時代の感覚が変わったからであるとした点には深く頷かざるを得ません。「芸」に支えられた伝統芸能である歌舞伎の変遷を辿ることは、ある意味で私たちの時代精神の自己証明でさえある点で、私の中でも興味は尽きません。

2005年9月23日金曜日

シャコンヌ

あちらこちらで話題になっているルミニッツァ・ペトレのバッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータをHMVへ注文。本来ならば京都のラ・ヴォーチェさんで買うべきであったのでしょうが、営業協力せずにごめんなさい。


丸山真男の思想の底流に「執拗低音」が流れているという記述を読んで以来、心懸かりになってヒラリー・ハーン(Vn)とキーシン(p)のシャコンヌを繰り返し聴いていたところにこの話題(les soupers du roi ubu 「ラ・ヴォーチェ京都で」9/19)、思わず注文してしまった次第。連休明けには届くことでしょう。感想は気が向きましたら、そのうち。

2005年9月20日火曜日

歌舞伎座:九月大歌舞伎「夜の部」


九月大歌舞伎の夜の部を観てきました。


演目は芝翫の「平家蟹」、吉右衛門の「勧進帳」、そして歌舞伎座では48年振りの狂言、梅玉と時蔵の「忠臣蔵外伝 忠臣連理の鉢植~植木屋」の三作です。


歌舞伎初級者の私のことですから、お目当ては当然「勧進帳」なのでありましたが、予備知識の全くなかった「平家蟹」も「植木屋」も、なかなかに興味深くそしてまた面白く、今回も歌舞伎の底知れぬ奥深さを知らされる思いでありました。


以下に雑な感想を綴っておきますが、後日何か思いついたら追記するかもしれません。





平家蟹」は壇ノ浦の合戦の後に生き残った官女、玉蟲(芝翫)の源氏に対する妄執を描いた怪談です。明治45年、岡本綺堂作の新作歌舞伎なのですが、観終わった感想は、いい意味での「なんぢゃこりゃぁ」というもので、歌舞伎というものは奥が深いのだなと思い知りました。岡本綺堂といえば今年2月に上演された「番町皿屋敷」も彼の作。あの時も、いまひとつ腑に落ちない印象を持ちましたが、今回も前回と同様に「?」と思うこともしばしば。岡本歌舞伎は、彼独特の美学があるようですし、この演目における不気味さ(特に蟹)は計り知れず、充分に堪能させてくれました。


実を言うと途中で芝翫が転んだりしないだろうなとハラハラしながら観ていた事も確か。芝翫の芸はまだまだ観せていただきたいと思っていますから。


惜しむらくは、今日も「掛け声」がかかるのですが、それが何とも一本調子な棒読みのような声。あんな掛け声なら発声しない方がよろしい、迷惑でしかないと言い切る。


勧進帳」は、渡辺保さんの歌舞伎評と鶴澤八介さんの床本に当たってから望んだのですが、いやはや見事でありました。私は「勧進帳」は團十郎と海老蔵の醍醐寺薪歌舞伎をTVで観たことしかなかったのですが、それでも今回はいちおう二度目ということになりますから見所も把握しておりましたから、初見のときより余裕をもって楽しむことができました。弁慶は吉右衛門、富樫が富十郎です。私は富十郎が結構好きなのですが、今回は役的にはしっかり弁慶を立てていたようです。ここは渡辺さんの評でも言及していますね。


吉右衛門の弁慶に対してワキに徹して抑えに抑えているからである。それはもう出て来ての名乗りでわかる。今までの声の浪費と怒鳴り声と違って抑えて低いところは低く、高音部は張って、緊縮自在の円熟振り、これでこそ名調子といえる。

なるほど、富十郎の「怒鳴り声」も歌舞伎座においては捨てがたい魅力を持っていますが、今回の富樫には不要か、いずれにしても二人の作り上げた緊迫感は凄まじいものでした。


その上で今回の一番の見所といえば、渡辺さんの評とは少し異なりますが、私は弁慶が勧進帳を読み上げるまでの一連の所作でありました。弁慶がハッとばかりに巻物を読み上げようとするまさのその一瞬に、彼の心持が劇空間までもガラリと変化させてしまうかのような鮮やか印象を与えてくれました。


最後の「植木屋」は全く期待せず、寝不足だし一度会社に戻らなくちゃならないし帰ろうかなと思いつつ、痛くなりつつある尻と腰をだましながら観たのですが、いやいやどうして、これが滅法面白く、併せて「つっころばし」という役がかくの如しなのかと理解させてくれた劇でもありました。確かに渡辺さんの評にあるように、梅玉演ずる弥七が、色男の役ではあるものの、ちょっとした「間」に隙を感じたのも確か。でも、こういう劇は素直に楽しめる。今後に期待したいという気にさせてくれました。

2005年9月18日日曜日

歌舞伎の美学

渡辺保氏の「歌舞伎 過剰なる記号の森」(筑摩書房)を読み始めましたが、「口上」と題された序文の中の一文が鋭く目を射ました。


古典劇としての歌舞伎には、それ自身のなかに伝統的でかつ不変の一つの美学があるように思える。しかし実はそうではないのである。(中略)そこにはむろん変わらないものもあるが、変わったものもある。変わらないものはその形式(たとえば女形)であり、変わったものはその内容(たとえば女形の芸風)である。(P.10)



この変化がどこからくるかといえば、(中略)私は時代の感覚が変わったからだと思う。(中略)その時代の感覚の変化の基本となったものは、私たち観客の感受性の変化でもある。役者とともに、役者と交錯しながら観客の美学というものが変わったのである。(P.11)


先に紹介した中野雄氏の「丸山眞男 音楽の対話」。丸山はカラヤンの振るベルリン・フィルをトスカニーニとNBCのヨーロッパ版言い、「なんという絢爛としたむなしさ」(P.229)という一言のもとに評しました。丸山が愛したフルトヴェングラーに象徴された音楽の時代が聴衆とともに変化したことを如実に表した一言です。


再度問う、いったい私たちは、何を観て何を聴いているのか、いや、何を守り何を求めているのかと。

2005年9月17日土曜日

関岡英之:「拒否できない日本」

関岡秀之氏は1961年生まれ、大学を卒業後、東京銀行(現・東京三菱銀行)に入稿し証券投資部門ほかを経た後に退職、1999年に早稲田大学大学院理工学研究室に入学しているという一風変わった経歴の方。早稲田大学ではある建築家の研究室に所属し、それがきっかけとなって参加した北京での国際建築家連の世界大会に参加します。そこで感じた一抹の不可解さから、彼は建築界をも超える壮大なテーマに挑むことになってしまいます。

それは一言で言えば本書副題の「アメリカの日本改造が進んでいる」ということです。アメリカの対日圧力要望書である「年次改革用要望書」の存在と、十数年の日本の歴史を振り返ると、まさにその要望書が描くように「改革」が進められてきた実態が明らかになり、アングロ・サクソン(米英)系の個人主義的価値観により日本を塗り替えようとする(ほとんど理解不能の)野望について知ることになります。



本書の内容は、建築、金融、司法、商法などあらゆる分野に「年次改革要望書」の影響が読み取れることを指摘しております。それは日本の国際化とか自由化、国際標準への準拠とか消費者、国民のためと表面的にはされているものの、結果的には米英を中心としたごく一部の勝者が日本で「自由」に動けるようにするための周到な施策と圧力であると看破します。

フリードマン(経済学者、市場原理主義の教祖的存在、1976年ノーベル経済学賞受賞)的な自由主義とは、万人の自由というよりは、投資家や企業経営者たちの自由、つまり平たく言えば金持ちがさらなる金儲けに狂奔する自由を説くものにほかならない (P.204 5.キョーソーという名の民族宗教)



ロナルド・ドーア(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)特別研究員)は『日本型資本主義と市場主義の衝突 日独対アングロサクソン』のなかで、こんにちの「自由化」と言われているものは実は「英米化」にほかならず、それが求めているのは貧富の差を拡大すること、無慈悲な競争を強いること、社会の連帯意識を支えている強調のパターンを破壊することであり、その先に約束されているのは生活の質の劣化である、と述べている。(P.220)


上記の主張や引用のように、関岡氏が現在の「構造改革」の行く末に疑問と警鐘をならしています。

私事になりますが、私自身日々の「無慈悲な競争」の前線で、従来の談合も強調も崩れたゼロサムゲームに似たビジネスを強いられていますが、結果的には「貧者」から「富者」へ単に「所得移転」する役割を担わされてるだけのように感じることがあります(正直、自分達の身銭まで削って真の「勝者」に「貢いで」いる状況)。「富者」はもはや絶対的な「強者」になっており、スタンダードは「強者」が牛耳っています。契約の条件は最初から「片務」です。

関岡氏は「米英」系のやり方について、「法」に対する考え方の違いにまで言及していますが、ここで塩野七生氏の「ローマは一日にしてならず」の一文を思い出しました。

政治体制とは、単なる政治上の問題ではない。どのような政体を選ぶかは、どのような生き方を選ぶかにつながるのである。(P.168 第二章 共和制ローマ 「ローマは一日にしてならず(上)」文庫版)



改革とは、かくも怖ろしいものなのである。失敗すれば、その民族の命取りになるのは当然だが、成功しても、その民族の性格を決し、それによってその民族の将来まで方向づけてしまうからである。軽率に考えてよいたぐいのものではない。(P.172 第二章 共和制ローマ 同上)

蓋し同感。








2005年9月15日木曜日

Google EarthとGoogle Mapの東京


いまさらなのですが、人から教えられGoogle Earhthをインストールしてみたのですが、驚いてしまいました。Google Mapも凄いのですが、こちらの方がよりリアルで「遊べ」ます。特に東京の衛星写真の解像度は凄まじく、車一台どころか人一人まで判別できます。まさに衛星爆撃かエシュロンの近未来(>現実だって)を地で行くような映像です。


Google Earthの写真撮影時期は、建設中の建物から判断するに(確定はできませんが)95~96年の夏頃の東京のようです。ちなみにGoogle Mapの方はもう少し新しく、2002年頃の写真のようです。全ての地点が同時期に撮影されたのかは分かりませんが、おおよその時期を類推できる建物は以下。

山手線周辺、港区および湾岸沿いの巨大建築物に着目(Google Earth,Google Map)


  • 汐留:(JRの操車場、電通は完成ほか建設中あり)
  • 品川:インター・シティ(建設中、完成)
  • 品川:品川グランドコモンズ(更地、建設中)
  • 大崎:大崎ゲートシティ(建設中、完成)
  • 渋谷:マークシティ(建設中、完成)
  • 渋谷:セルリアンタワー東急ホテル(更地、完成)
  • 代々木:NTTドコモ(更地、完成)
  • 六本木:ナショナルギャラリー(まだ東大生産研・物性研、更地化)
  • 六本木:六本木ヒルズ(まだ住宅地、建設中)
  • 赤坂:山王ビル(建設中、完成)
  • 赤坂:プレデンシャルタワー(ホテルニュージャパン解体、完成)
  • 四谷:防衛庁(建設中、完成)
  • お台場:アクアシティお台場(更地、完成)


ほかにもあるかもしれませんが、目が疲れました・・・


一方、New Yorkはと目を転じれば・・・2002年9月11日以降であることが分かります。

中野雄:「丸山眞男 音楽の対話」

著者の中野雄氏は54年東京大学法学部にて丸山を師と仰ぎ、その後オーディオメーカーに入社、ケンウッド会長、常務取締役などを歴任、音楽プロデューサーや昭和音楽大学講師などもされている方と裏表紙の著者紹介にあります。そんな中野氏はもっぱら音楽談義を通じて丸山と半生を共にし、交流の中で得られた丸山氏の音楽観や思想の根底に流れるものを描き出しているのが本書です。


読んでいると、中野氏の丸山氏に対する深い敬愛と思慕の気持ちが溢れるばかりです。まさに彼の生涯のメンターの一人であったのだろうなと思われます。それ故に、本書に描かれる丸山氏の実像は、思想史家としての丸山眞男ではなく、まさに音楽に没頭し、音楽にまみれていることを至福とする、ひとりの音楽愛好家のいじましいまでの姿であります。しかしその姿は単なる愛好家というレベルを遥かに凌駕した洞察力を秘めており正鵠を射た批評には驚くばかりです。


この本には「丸山眞男」というものに代表される難解さは微塵もなく、読後の素直な感想としては「ベートーベンでも聴きなおしてみようかな」とか「丸山の本でも紐解いてみようかな」というものでありました。それほどまでに「音楽」に対する魅力と「丸山氏」に対する愛情が充満した本です。


丸山氏は日本の政治思想史において重要な足跡を残した思想家ですから、政治と音楽との関係について言及しないわけにはいきません。したがって本書では「第一部 ワーグナーの呪縛」「第二部 芸術と政治の狭間で-指揮者フルトヴェングラーの悲劇」として多くのページがナチスドイツ時代の音楽家や演奏に頁が割り当てられています(というかプロローグとエピローグ以外はこの二章しかない)。


フルトヴェングラーとドイツの関係については、Coffee Breakでも軽く引用しましたが、実存にまで関わる深い問題が横たわっています。第二章の最後にフルトヴェングラーの演奏がナチス・ドイツの支配下、しかも戦況不利な極限状態で「最良の姿」を見せたことについての二人の対話、


(中野)「でも、あんな悲劇的な状況と、悲惨な経験を抜きに最高の演奏が生まれないとしたら、<音楽>とはいたい何なんでしょう」

短い沈黙があった。丸山の言葉は、私の問いかけに対する答えではなかったような気もする。

��丸山)「人間の本質にかかわるテーマですね」

返って来たのはそのひと言であった。静かな、何かにじっと耐えているような丸山の口調であった。(p.234)



この部分は、本書の全てを言い表している部分かもしれません。いったい、私は丸山氏が聴いたものと<同じ><音>を、同じ<音楽>を聴いているのだろうかと、自問せずにはいられませんでした。

2005年9月8日木曜日

ゲオルギュー/プッチーニ:アリア集


��1月に来日してソロリサイタルを開催する予定の、今や押しも押されぬソプラノ歌手アンジェラ・ゲオルギューのプッチーニ・アリア集。以前から気になっていたのですが、仕事も切羽詰まっており難しいことは考えたくないので、こういうアリアでもバーッと聴きながら気分転換を図るのも良いかもしれません。






Puttini/angela gheorghiu



  1. ある晴れた日に(歌劇「蝶々夫人」第2幕より)
  2. かわいい坊や(歌劇「蝶々夫人」第3幕より)
  3. さらば、愛しい人よ(歌劇「エドガール」第3幕より)
  4. エドガールの村で(歌劇「エドガール」第3幕より)
  5. ドレッタの素晴らしい夢(歌劇「つばめ」第1幕より)
  6. 私の名はミミ(歌劇「ラ・ボエーム」第1幕より
  7. 私が街を歩けば(歌劇「ラ・ボエーム」第2幕より
  8. あなたの愛の呼ぶ声に(歌劇「ラ・ボエーム第3幕より)
  9. 愛情は別のものよ・・・・・・ソレダードにいた頃(歌劇「西部の娘」第1幕より)
  10. 華やかに着飾っても(歌劇「マノン・レスコー第2幕より)
  11. ひとり寂しくすてられて(歌劇「マノン・レスコー」第4より)
  12. 母もなく(歌劇「修道女アンジェリカ」より)
  13. 私のお父さん(歌劇「ジャンニ・スキッキ」より)
  14. もしもあなたのようにちっちゃな花ならば(歌劇「妖精ヴィッリ」第1幕より)
  15. おきき下さい、王子様(歌劇「トゥーランドット」第1幕より)
  16. 氷のような姫君の心も(歌劇「トゥーランドット」第3より)
  17. この宮殿の中で(歌劇「トゥーランドット」第2幕より)

    ボーナスCD
  18. 歌に生き、愛に生き(歌劇「トスカ」第2幕より)


  • アンジェラ・ゲオルギュー(S)、ロベルト・アラーニャ(T)、コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団、アントン・コッポラ指揮、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディso.
  • ボCD:コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団、アントニオ・パッパーノ指揮
  • EMI 5579550





アルバムはあまりに有名な「ある晴れた日」から始まりますが、ゲオルギューの存在感と艶のあるソプラノがなんとも素晴らしいです。どこまでも上り詰めるソプラノの歌声からは素直にカタルシスを得ることができます。またアルバムには、ロベルト・アラーニャ(1996年ゲオルギューと電撃結婚)の美声も少しだけ聴く事ができます(Pinkerton,2; Calaf,17)。


��Dアルバムはハード・カヴァー60ページ、ライナー・ノート、あらすじ、アーティスト・コメント、歌詞、レコーディング・セッション写真、歴史的挿絵 などを含む豪華な特別仕様(HMV)とあるように分厚いことには違いありませんが、「豪華特別仕様」というほどには写真や歴史的挿絵は少なく、歌詞の対訳や解説がほとんどを占めていてちょっと期待はずれ。


この有名曲ばかり集めたアリア集ですが、いくらオペラ無知な私であったとしても、プッチーニの歌劇を「トゥーランドット」しか通して聴いたことないというのは、やはりモンダだなあと・・・。

2005年9月4日日曜日

展覧会:「全揃い冨嶽三十六景展」太田記念美術館

原宿にある太田記念美術館で葛飾北斎の「冨嶽三十六景」全46点が全て展示されていると知り、もののついでに観に行ってきました。

太田記念美術館は表参道の裏手に位置していますが、美術館に入った瞬間に外の喧騒が遠い世界のような静かな空間が現出します。


大々的に宣伝しているわけでもありませんから来館者も少なく、ゆっくりと北斎を鑑賞できる至福の時を味わうことができました。


それにしても、改めて北斎の画を見るにつけ、何たる天才性であろうかと驚くばかり。また、その画に対する執念に近い凄まじい気迫まで感じ、まったくもって恐れ入ってしまいました。美術館サイトによりますと「冨嶽三十六景」は天保二年(1831年)頃に出版されたそうで、北斎60歳後半から70歳前半にかけての作品とのこと。それほどの老境にいながら、精力的に写実を試みた北斎の類稀な画境は冨嶽三十六景と併せて展示されている諸作品群からも窺い知る事ができました。


天保五年「冨嶽百景」初編において北斎は自らを「画狂老人卍」の号を用いました。その号には死ぬまで飽くなき追求をする気迫を込めているようです。習作に近いスケッチなども展示されていますが、その表現は自在で写実的意味合いにおいては日本的な様式を持ちながらも、すでに空間や空気までをも表現するリアリティを獲得しており圧巻といえましょう。


世界に目を転じればまさに西欧では印象派が花開きはじめる前の時代。まさに西欧が瞠目した浮世絵の世界は最盛期を迎えていたのですな。

2005年9月2日金曜日

保坂正康:「あの戦争は何だったのか」

9月2日です。日本が東京湾上のミズリー号で降伏文書に調印した日であり、真の意味での「敗戦記念日」です。


果たして私を含め日本人の多くはは、アジアに対する戦争責任とか以前に、ポートモレスビー、ミッドウェー、ガダルカナル、ラバウル、トラック島、インパール、レイテ島などの激戦地を地図上で正しく示すことができるだろうかと改めて思いました。知らないとしたならば、それほどに日本近代の歴史について無知でありすぎるのだと。

この書には、日本が戦争をせざるを得ない状況に追い込まれた時代の雰囲気、軍部(軍部とは何かについても「第一章 旧日本軍のメカニズム」として記述をしている)の暴走から敗戦になだれ込むまでの経緯が、天皇や当時の人たちの話しをまじえながら淡々と描かれています。その意味から、「大人のための歴史教科書」という副題はあながち誇称ではないと思います。


本書は「歴史教科書」とうたわれていますが、いわゆる自虐史観云々から声高に侵略の歴史を正当化するようなものではありません(戦後の「反戦、平和主義」にも「新しい歴史教科書」派のどちらにも批判的)。ひとえに、


あの戦争にはどういう意味があったのか、何のために三一〇万人もの日本人が死んだのか、きちんと見据えなければならない(「はじめに」P.9)

というのが主旨です。私が日本近代史に疑問に思い続けていることを、そのまま文章にしてくれたような本でありました。ではなぜ私が近代日本史に疑問を持ち続けているかといえば、おそらく戦争に至った日本のありようは、今も継続しているのではないかと感じているからです。それは現代のプチ右傾化の政治風土というようなものではなく、もっと深く日本の組織風土、会社風土にまで根付いたもののように思えるときがあるからです。


はからずも著者は「あとがき」で次のように記述しています。


あの戦争のなかに、私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている。(中略)その何かは戦争というプロジェクトだけではなく、戦後社会にあっても見られるだけでなく、今なお現実の姿として指摘できるのではないか(「あとがき」P.240 太字は本文では傍点)


たとえばターニングポイントとなった時期の状況について、


危機に陥ったときこそもっとも必要なものは、対局を見た政略、戦略であるはずだが、それがすっぽり抜け落ちてしまっていた。大局を見ることができた人材は、すでに「ニ・ニ六事件」から三国同盟締結のプロセスで、大体が要職から外されてしまい、視野の狭いトップの下、彼らに逆らわない者だけが生き残って組織が構成されていた。


司馬遼太郎の「坂の上の雲」は日露戦争を描き、広く国民に明るい近代史とナショナリズムを植え付けた意味で画期的な本でした。しかし司馬は日露戦争の日本を描きながら、暗に昭和の日本を照射していました。明らかに明治の陸軍と昭和の陸軍は別物であったという認識です。


保坂氏も陸軍や東條の無能さを指摘してはいます。しかし常識であった「陸軍の暴走」に対し、太平洋戦争開戦について、最初に責任を問われるべきなのは、本当は海軍(「第ニ章 開戦に至るまでのターニングポイント」P.92)は意外な視点でした。真珠湾はアメリカに仕組まれたものであったとの説もありますが(保坂氏はそのスタンスに立たず)、日本の石油備蓄量と続くABCD包囲網は、海軍が仕組んだ結果であったとは・・・! もっとも保坂氏は戦争の責任を陸軍や海軍にのみ転嫁せず、当時の思考麻痺に陥ったマスコミを始めとする日本の状況にも言及しています。


また、当時の天皇のスタンスについてもかなり言及されており、保坂氏の資料が正しければ天皇は最後の本土決戦回避に向け非常に重要な役割を果たしたことが伺えます。


歴史事実や歴史認識に「客観的事実」は存在しないとは思うものの、歴史を正視する努力は怠ってはならないはずです。かようにこの本は、「戦争に対する説明責任」「日本を滅ぼそうとした政策に対する責任」、さらには現在の日本人の姿までを考えさせる良書であると言えましょう。(って私が推薦したところで、どうなるものでもないが)


太平洋戦争で将棋のコマのように犬死させられた無名の日本兵士たち、その無名の兵士たちに殺されたであろうアジアやアメリカを含む多くの方々に心よりご冥福をお祈りする次第です。