2005年9月15日木曜日

中野雄:「丸山眞男 音楽の対話」


著者の中野雄氏は54年東京大学法学部にて丸山を師と仰ぎ、その後オーディオメーカーに入社、ケンウッド会長、常務取締役などを歴任、音楽プロデューサーや昭和音楽大学講師などもされている方と裏表紙の著者紹介にあります。そんな中野氏はもっぱら音楽談義を通じて丸山と半生を共にし、交流の中で得られた丸山氏の音楽観や思想の根底に流れるものを描き出しているのが本書です。

読んでいると、中野氏の丸山氏に対する深い敬愛と思慕の気持ちが溢れるばかりです。まさに彼の生涯のメンターの一人であったのだろうなと思われます。それ故に、本書に描かれる丸山氏の実像は、思想史家としての丸山眞男ではなく、まさに音楽に没頭し、音楽にまみれていることを至福とする、ひとりの音楽愛好家のいじましいまでの姿であります。しかしその姿は単なる愛好家というレベルを遥かに凌駕した洞察力を秘めており正鵠を射た批評には驚くばかりです。

この本には「丸山眞男」というものに代表される難解さは微塵もなく、読後の素直な感想としては「ベートーベンでも聴きなおしてみようかな」とか「丸山の本でも紐解いてみようかな」というものでありました。それほどまでに「音楽」に対する魅力と「丸山氏」に対する愛情が充満した本です。

丸山氏は日本の政治思想史において重要な足跡を残した思想家ですから、政治と音楽との関係について言及しないわけにはいきません。したがって本書では「第一部 ワーグナーの呪縛」「第二部 芸術と政治の狭間で-指揮者フルトヴェングラーの悲劇」として多くのページがナチスドイツ時代の音楽家や演奏に頁が割り当てられています(というかプロローグとエピローグ以外はこの二章しかない)。

フルトヴェングラーとドイツの関係については、Coffee Breakでも軽く引用しましたが、実存にまで関わる深い問題が横たわっています。第二章の最後にフルトヴェングラーの演奏がナチス・ドイツの支配下、しかも戦況不利な極限状態で「最良の姿」を見せたことについての二人の対話、

(中野)「でも、あんな悲劇的な状況と、悲惨な経験を抜きに最高の演奏が生まれないとしたら、<音楽>とはいたい何なんでしょう」
短い沈黙があった。丸山の言葉は、私の問いかけに対する答えではなかったような気もする。
(丸山)「人間の本質にかかわるテーマですね」
返って来たのはそのひと言であった。静かな、何かにじっと耐えているような丸山の口調であった。(p.234)

この部分は、本書の全てを言い表している部分かもしれません。いったい、私は丸山氏が聴いたものと<同じ><音>を、同じ<音楽>を聴いているのだろうかと、自問せずにはいられませんでした。

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