2006年8月28日月曜日

坂東氏の件


昨日の坂東氏の真意について見解が深まったわけではありません。ただ、ネットを見ると予想以上の非難糾弾のアラシ。坂東氏の掲示板は完全に「荒らされた」後の残滓がブスブスしてる状態で、もとの議論は欠片も見当たりません。


もはやネットに議論はなく、感情的なパッシングのみが溢れかえる。坂東氏の猫殺しの論理については私もちょっと極端だなと疑問を感じはしますが、それでも、ネットに上の過激な意見ほどには吐き気を催しません(「坂東、死ね!」とか「生きる価値なし!」とか)。そこに隠れる真実と欺瞞の差はどこにあるのか。坂東氏は図らずも、自らの暗部を晒す以上に日本の暗部を抉り出してしまったのでしょうか。


ひとつだけ予想するとすると、タヒチにおいて子猫を捨てる(殺す)ことは、そんなに異常な行為ではないのかもしれません。近代以前の日本で農村の「間引き」が公然と行われていたこととと同様に。近代になることで人権、平等などの思想により常識は変わりましたが、それによって隠蔽されたものもあるのだということ。


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