2006年12月27日水曜日

伊東豊雄:「建築|新しいリアル」展


伊東豊雄の「建築|新しいリアル」展を観て来ました。既に終了した展覧会のレビュを書いても他の人に意味があるとは思えませんが、自らの防備録的にしたためておきます。


展覧会の概要は公式HPが詳しく、引用しておきます。


本展では、新世紀の幕開けとともにオープンした《せんだいメディアテーク》から最新のプロジェクトである《台中メトロポリタン・オペラハウス・プロジェクト》を含む9作品を中心として、伊東の提唱する新しい建築理念を紹介します。伊東自身が構成に深く関わった会場には「エマージング・グリッド」を体感させる曲面の床が現れ、鉄や木など実際の建築と同様の素材を使った大型の模型によって「物質(もの)のもつ力」が示されます。また壁面に天井の高さまで広がる原寸大の図面や、CG画像、施工中の建築現場で撮影された映像などが各プロジェクトをさまざまな角度から照らし出します。身体と知覚に直接はたらきかける展示空間は、伊東の目指す「新しいリアル」を立体的に体験する場となることでしょう。


この紹介からも、彼の提唱する「リアル」というものが空間や素材の持つ皮膚感覚に根ざしたリアルであることが読み取れます。実際に原寸大の図面や、現場で使用する材料の再現、三次元にうねる床(屋根)を歩いたりしますと、いかにモニターや紙の上での表現が一面的なものでしかなく、感覚に訴える要素がごっそりと欠落していることに気づかされます。


また有機的な秩序である「エマージング・グリッド」が支配する空間は、やっぱり「新しい」とまではいかずとも、どこか違うと思わせます。包まれるような、あるいは受け入れられるような抱擁力、現代的な建築物から感じるのとは逆のリアルがあります。


建築家は立体芸術やインスタレーションを行う芸術家とは違い、実際に住む、使うという実利的な目的物を造らなくてはなりません。従って建築家には芸術性やイマジネーションとは別の次元から一般の人に評価されることとなります。ですから「まだ実現していない空間」に対する想像力は建築家にとって非常に重要な能力です。


伊東が提示する空間や建築物は、最近のものだけを見ると奇を衒った印象を受けがちです。デザインに偏重しているという印象も受けるかもしれません。しかし展覧会を通して、彼が非常に厳格な論理と細部に対する造形、そしてものを造るということへに拘りを持っていることを感じました。イメージしたものを造りきろうとする執念と情熱でも言いましょうか。壁の原寸図を前にして、しばし彼の思いを全身で感じたりしました。


それにしても結果としての建築物です。例えば《台中メトロポリタン・オペラハウス・プロジェクト》。



曲面で構成された近未来を思わせる建築物。模型や図面を見ても一体どうやって造るのだろうと思わずには居られない形体。CGで見ると限りなく美しい。しかし、これは「オペラハウス」なんです。この非現実的で近未来的な空間で20世紀に終焉したと思われる「西洋クラシック音楽」を鳴り響かせようというのは、高度な皮肉なんでしょうか。


たかが建築空間(器)が人の生活や芸術までをも規定するとするのは傲慢で乱暴な考え方でしょう。しかし、そういう器を受け入れることのできる感覚は、新たな内実を生み出すと思うことも、自然な認識でしょう。空間がここまで吹っ飛んでいるのならば、そしてそれを自然に受容するならば、音楽にも新しさや現代的な感覚が吹き込まれて当然ではないかと。そうすると、そこに流れている音楽は、例えばヴィヴァルディでありながらも、私たちのまだ知らないヴィヴァルディであるかも知れず、そう考えるのは、「の◎だめ」がブレイクした以上にワクワクするような気持ちになりはしないでしょうか。




2006年12月11日月曜日

硫黄島関連の立ち読み~「十七歳の硫黄島」ほか

書店に行って硫黄島関連の本を立ち読みす(池袋ジュンク堂なので新書は座り読みですが・・・)。先の映画の感想も、一面的で表層的であったことを自省す。

「十七歳の硫黄島」(秋草鶴次著、文春新書)

硫黄島で海軍志願兵として戦い、強靭な精神力で奇跡的に生き残った秋草さんが綴る渾身の書。米軍の硫黄島上陸前から、硫黄島玉砕の報の後2ヶ月も戦地を彷徨い、最期は意識不明となって米軍捕虜として生き残るまでを書いています。硫黄島でのことは、どんなに文章にしても本当のところは伝わらない(伝えることができない)と思いながらも、「玉砕」の一言で語られてしまうことに「耐えられない」という言葉は、ひたすらに重いものです。



どの頁を読んでも凄惨という言葉を通り越しています。自ら「人間の耐久性試験」と言うほどの有様は、現在の平和な世界に生きる私には想像だにできません。これを読むと、イーストウッドが描いた戦場は、あれであっても「綺麗すぎる」と思えてしまいます。市丸少将が「あたかも害虫駆除」と称した米軍による塹壕の掃討作戦。すなわち毒ガスと水、ガソリンと手榴弾による火攻めの阿鼻叫喚。苦痛に叫ぶ兵士を、敵に見つかるから黙れと怒鳴る上官。「お国のために黙ってやる」といって放たれる銃声。塹壕に響く「お母さん」「バカヤロー」の叫びと手榴弾による散華。この世に地獄があるならば、まさにそのままです。

生きて帰るとの意志のもと、左指を吹き飛ばされ、大腿部を貫通するほどの傷を負いながらも生還したこと。まだ生きることができた多くの若者たちが、死ななくてはならなかったということ。戦争の悲惨さでは片付けられない事実です。

米国はブルトーザとダンプで地下壕の上をまっ平らにし(地下には日本人が生き埋めにされたまま)、投光器が煌々と照らす砲撃の後など痕跡もない広場に大量の物資を運び込んでいったという記述は、戦争の一面を如実に伝えています。

擂鉢山の星条旗の欺瞞を描いたのが「父親たちの星条旗」でしたが、そこに日章旗が二度もはためいたということは驚くべき事実です。

「週刊文春 06年12月14日 コラム~本音を申せば」(小林信彦)

そういえば小林氏が「父親たちの星条旗」を絶賛していた同コラムを読んで、私はあの映画を観る気になったのでした。そして今回の「硫黄島からの手紙」に関するコラムを読んで再び成る程と思いました。小林氏はこの映画の実質的な主人公は<基本的に戦わないスタンスの男=西郷>だと思うとし、西郷は兎みたいな奴で、それが戦争を経験してどうなっていくかを書きたかったとのイーストウッドの言葉を紹介しています。

西郷=二ノ宮和也の顔について蛇足的なことを書きましたが、実はいい演技しているんです、彼は。

歴史街道 1月号(12月6日発売)~硫黄島と栗林忠道

もうお決まりのような特集です。栗原中将が息子に宛てた絵手紙に、ほのぼのとすると同時に涙を禁じえません。それにしても、彼の描く絵、決して上手くはないけれど、素人のそれではありません。

アメリカに渡り、アメリカの国力を知悉していた栗林。日本陸軍にあって、珍しく合理的な精神を持ちえていた人物であったことは、ここでも伺えます。脅威を感じつつも惹かれていたアメリカに対し、銃剣を向けなくてはならなかったときの矛盾と葛藤はいかほどであったか。玉砕、総攻撃を禁じた彼でしたが、最後は「一人百殺」と言って総攻撃に討って出ます。自らが敵の雨霰と降る銃弾の中に先陣を切って突入した、その決意と悲愴。彼の意志は決して米国に勝つことではなく、一日でも米軍の本土空襲を遅らせて、日本人が疎開などをする時間を稼いだということ。まさに映画のように一人の兵も無駄にはできなかったのです。

キネマ旬報 12月号

イロイロな人が映画評を書いていました。映画評などほとんど読みませんから、誰のものか忘れました。印象的なことを拾っておきます。

イーストウッドは「正常な人間の理想や自分が正しいと思うものが崩れていったとき、人間はどうなるのか(ふるまうのか)」あるいは「どこか毀れた人間が、どのように再生するのか」ということに一貫して興味があるらしいです。彼は栗林中将と、ロサンゼルス・オリンピックの馬術で金メダルを取った西竹一中尉に「アメリカを見た」のだと。そういう合理主義精神を持っていた栗原中将が、何故にこのような闘いに殉じたのか。

この点は私も映画の中で、栗原氏の精神的な分断として違和感を持ったところです。イーストウッドは日本兵が自決したことが理解できなかったと言います。栗原の最期の闘いは、いわゆる玉砕覚悟のバンザイ突撃ではなく、ゲリラ戦のようなものだったとの記述もどこかで読みました。映画はで残念ながら、そう描いていません。もしかするとイーストウッドの中では、栗原中将の矛盾は解決していない問題なのかもしれません。もっとも、何でもが合理的に説明が付くとは思っていませんが。

「玉砕」「無駄死に」と言うには悲惨すぎる、「無謀で無意味な闘い」というのでは浮かばれない。人は愛国心のために殉じているわけでもありません。映画の中で「いつか君たちのような若者が居たことを、後世の人が思い出して称えてくれる」という言葉は、決して戦争の肯定に繋がるものではなく、当たり前のことであると思う次第です。
















2006年12月10日日曜日

TV:硫黄島~戦場の郵便配達~


フジテレビで「硫黄島~戦場の郵便配達~」という2時間ドラマが放映されていました。映画「硫黄島からの手紙」に触発されて作られた番組でありましょうから、もののついでということで観てみました。感想としては、番組制作者の意図を汲んだとしても、ドラマとしては鑑賞に耐えうるものではなく、「話題つくり」的な拙速さが目に付きました。市丸少将率いる硫黄島の兵士たちの姿も、酷い描き方でした。



これならばいっそのこと、インタビューを交えたドキュメンタリー(*1)にした方が、よほど訴求力があったのではないかと思います。ドラマに挿入されるご遺族の行動や言葉を聞きますと、戦争は決して終わったものではないのだと身に染みる気がしました。


また実在した市丸少将を軸にドラマを展開したのですから、彼の遺書とも言うべき『ルーズベルトニ与フル書』についてもっと言及すべきではなかったのでしょうか。Wikipediaによりますと日米戦争の責任の一端をアメリカにあるとし、ファシズムの打倒を掲げる連合国の大義名分の矛盾を突くものであったとのこと。その「手紙」が米国で丁重に保管(*2)されているというのも、不思議な気がします。


私は硫黄島のことも、戦争のことも、ほとんど無知と言っていい。硫黄島は「玉砕の島」と火炎放射器という断片的な知識を有しているのみです。「硫黄島からの手紙」を主演した渡辺謙氏も、この映画の話が来るまで栗原中将どころか、硫黄島の事も全く知らなかったと語っています。おそらくは他の日本の俳優しかりでしょう。


イーストウッドの映画は、非常にリアリティのある映画でしたが(*3)、それでも戦場の現実からは程遠い(ような気がします)(*4)
戦争を「リアル」に感じるというのは、どういうことなのか。当時の日本が、一体どういう戦争をしていたのか。当時の世界情勢を考えたとき、戦略的にどうであったのか。日本の取った行動は間違っていたのか、他の選択肢があったのか、何故それは潰されたのか。そして当時の人たちは戦争をどう考えていたのか。戦場に行くということは、敵を倒す(殺す)ということは、個人にどういう意味をもたらすのか。そういうことを私は全く知りません。


イーストウッドは、「戦争がなくなって欲しいとは思うが、歴史は戦争がなくならないことを教えている。しかし理想は捨ててはいけない。」という主旨のことを、12/7の筑紫哲也 NEWS23で語っていました。筑紫氏が「戦争映画は戦争を顕彰することになり、次なる戦争の準備とならないか。愛国心についてどう考えるか。」という質問をしました。イーストウッドは「愛国心(patriotism)」という言葉に一瞬考えながらも、「愛国心は誰にでもある。しかし、それが理由になって(個人や国家を)縛るようなことがあってはいけない。」と答えていたのが印象的でした。


  1. ドキュメンタリーであれば良いというわけでもないようです。NHK総合で2006年8月7日に放送されたNHKスペシャル「硫黄島 玉砕戦~生還者 61年目の証言」について、小林信彦氏は「週刊文春 12月14日号」で、誠実なドキュメンタリーにおち入りがちな穴あまりにも取材を重ねたために、取材にからめとられて、テーマを見失う日米双方の主張を並べて、あとは視聴者が考えて欲しいということになったと評しています。

  2. 米国は東京大空襲や広島原爆投下後の日本の様子を、事細かに航空写真などで撮影し、攻撃の効果を記録し今でも保管しています。多くの日本人が目にしたこともない膨大な戦争記録がアメリカにまだまだ保管されているのだと思います。

  3. 父親たちの星条旗」を見た硫黄島戦闘に加わった米兵は、当時の実写とロケを組み合わせて上手く映像にしたものだ、と戦闘シーンを絶賛したそうです。イーストウッドによると、当時の実写は一切用いてはいなかったそうです。(「キネマ旬報 11月号」だったと思う・・・)

  4. 例えば文春文庫の「十七歳の硫黄島」などを読めば分かるかと・・・


映画:硫黄島からの手紙



本日に封切られたばかりの「硫黄島からの手紙」を観てきました。クリント・イーストウッド監督、スティーブン・スピルバーグ製作の硫黄島2部作のうち、こちらは、日本から見た硫黄島の戦争を描いたものです。「父親たちの星条旗」を観て、是非こちらも観なくてはと思っていましたが、期待以上の出来に心底ビックリです。


映画は渡辺謙が演じる栗林中将と二ノ宮和也が演じる一兵卒の西郷。この二つの軸を中心に、硫黄島で何が起きたのかを淡々と描いていきます。人物像と背景の描き方に過度の感情移入を廃している点、日本映画だと、もしかすると、残された家族への愛惜やそれを逆転した愛国心、あるいは無残に死んだ兵士の姿を過度に表現しがちですが、この映画はかなり抑制的な表現です。





戦場における日本の指揮官たちの愚昧さも、日本兵の自決シーンも、批判的に描いているというよりは、「そこで起きた事実とはこうだった」というような客観的視点があるように思えます。戦闘シーンは「父親達の星条旗」ほどには激烈ではありません。さらに日本兵の実態は、米軍との圧倒的な物量の違いとか、水や食料のなさなど、実際はもっともっと悲惨で酷かったであろうとは思うため、随分と甘い描写であるとは思います。しかし、それでも戦争の泡立つような恐怖と理不尽さに、私は映画の終わりまで身動きすることさえできませんでした。


一方で「手紙」ということから連想する、日本に残された家族や恋人たちのシーンは意外な程に少ない。というか「手紙」を受け取る家族の姿は、一度も出てきません。手紙を書くのはもっぱら硫黄島の兵士ばかりです。


戦場での彼らは「手紙」という抽象的な、あるかないか分からないばかりの繋がりのみを頼りとして自己を守りぬます。自分が自分であることを「手紙」により確認し、本国に残った者には想像だにできない戦場の狂気に身を置いていたということが伝わってきます。


「自らが正義と思える行動を取るように」というアメリカ兵捕虜への母親からの手紙に共感する元憲兵の日本人。彼らが守ったものは、もしかすると家族でも国家でもなく、絶対に譲れない自己であったのかもしれません。命令に背く部下を罰する上官も、もはやこれまでと自決した兵士も、逃走した兵士も、皆な同等な存在と思えてきます。そういう意味からは、非常に内的な映画であるとも感じました。


映画では合理的精神の象徴として栗林忠道中将を描いています。玉砕を禁じ、優秀な指揮官振りを示した人物であることは事実の通りのようです。最期は「予ハ常ニ諸子ノ先頭ニ在リ」の言葉を残し突撃戦を敢行。映画では、この戦闘で傷を負い、そして苦渋を秘めて自決します。このシーンは全編の中で最も重く感情的に描かれています。冷静とシニカルさを保っていた西郷が、遂に自己を抑制できなくなったのは、残された家族を思ってでも、戦友の死でも、自己の死の予感でもありませんでした。イーストウッドは、彼らの心情をアメリカ人的に理解したかったのではないでしょうか。


蛇足ですが、二ノ宮和也のような「顔」の日本人が当時いたわけがない、という一部の感想には同感です。イーストウッドが共感した日本人兵士の合理的精神も、所詮はアメリカの視点であることは忘れてはならいでしょう。


それにしても、おそらく多くの人が感じると思いますが、こういう映画をアメリカ人に作られてしまうとは、ほとほと、トホホです。

2006年12月7日木曜日

シューベルト:交響曲 第9番 ハ長調 D944《ザ・グレイト》/ジュリーニ&シカゴ響





  1. シューベルト:交響曲第9番《グレイト》

  • カルロ・マリア・ジュリアーニ(cond)、シカゴso.
  • 1977年 シカゴ
  • UCCG-9446



やっぱり評判が高いだけあって、ジュリーニ&シカゴ響は名演です。この曲の持つ若々しさ、躍動感など余すことなく伝えてくれます。晩年の演奏とは印象は全く別物と言ってもいいかもしれません。



まず聴いてびっくりするのが解像度の良いシカゴ響のオーケストレーション。弦の刻みの鋭さ、金管群の明確さ、重なり合う音が作り出す重厚感。それでいて、音は互いに濁ることなく硬質で見通しの良い立体感を形作ります。いかにもアメリカ的な機能美を感じます。冒頭のホルンの音色、トロンボーンの響き、どこを取っても素晴らしい。


この高性能のオケをジュリーニは、一切の妥協も見せず、最後までグイグイ引っ張り、堂々たる音楽を描ききります。表現としては第一楽章のレガティッシモの主題の歌い方が特徴的です。ここには抑制的で一瞬ダルな印象を受けますが、聴き続けますと、そのほかの部位においては弛緩したところなど全くありません。そこここに聴こえる強調されたアクセントは、旋律線を浮き立たせる点で見事です。


機能美は冷たさには繋がらず、例えば第二楽章、劇的なクライマックスを迎えた後のカンタービレは惚れ惚れするほどの歌です。第三楽章冒頭の弦5部のユニゾンは小気味良いほどの切れ味。曲の雰囲気は学生最後の卒業舞踏会パーティーを思わせます。終楽章のテンポは速く、キビキビとした圧倒的な躍動感を伴っています。これまた舞踏の音楽でしょうか。


全体に高貴であり、従って少々気取りが、そしてジュリーニの曲に対するリスペクトと音楽的に真摯な几帳面さを感じる演奏です。表現は広く図太く、そして男性的であるが故に、恐ろしく重厚で実直な美しさをたたえています。音楽的輪郭の鮮やかさが粋で格好良く、溢れるばかりの躍動感と幸福感に、聴いていて素直に背筋が伸び、そして元気になれます。