2007年3月11日日曜日

梅田望夫・平野啓一郎:ウェブ人間論


本書を読んだ第一印象は、amazon カスタマーズ・レビュの「じゃま」さんの感想に近い。「ウェブ進化論」に比べて深みがないとの感想もamazonにはありましたが、私は本書は「進化論」とは別物として読みました。

平野氏はネットの持つ閉塞性と個人の人間性についてある種の拘りと可能性を感じ取っている。所謂匿名性における人間性の解放と、それによる社会へのアクセスと変容みたいなもの。それに対し梅田氏は、自らのIT関連に関わってきた豊富な経験をもとに、ネットをもっと明るく、流動的たものとして捉えている。

一番端的なのは、平野氏がリアルな世界(「公」)を個性の表現を排除してしまっている社会領域(P.78)と定義し、匿名性の自己をネットで公開するというある種の二重生活(P.84)を続ける人が、今後その二重性とどう折り合いを付けるのかということ、あるいは匿名性からリアル世界の変容を期待する発想がある。しかし梅田氏はもっと多角的で楽天的です。そういう二重性をバランスとして機能して破綻しない(P.85)と言い切ります。

この考え方の違いは、ネットを通じた個人の「サバイバル戦略」ということに繋がります。二人の考え方の差異は、自分と本書の中での二人とのネットに対する差異を炙り出すことになりました。

梅田氏の「ウェブ進化論」は非常に話題になった本として、本書でも繰り返し話題にされています。私があの本を読んで考えたことGoolge的な企業がもたらす社会が、今後どのようにパラダイムシフトしてゆくだろうか高度に発展してゆくIT社会において、今後の組織と人間はどのように関わってゆくのかテクノロジーはどこまで人間を幸福にするのかということでした。その答えがここで得られたわけではありませんが、若干考え方は進み、深まった気もします。

私は7年以上もサイトを細々と開設し、ブログも4年目に入っています。リアル社会でもそれなりの地位を確立していますのでリアル社会が辛くてネットに逃避しているわけではありません。それなのに、私がネットを続けている理由があるとしたら、ウェブを通じた個人知の拡大の可能性、知の連携とネットワークに大きな魅力を感じているからです。平野氏が類型化した5パターン(P.73)とは微妙に異なるというか、そうはっきりと区分ができない。

平野氏の人間の変容という観点に絞ってみれば、やっぱり多くの人が自分で自分を言語化してゆくようになった(中略)逆に自分を錯覚してしまったり、固定化してしまったりする(P.185)という観念論に対して梅田氏は、そういう変容の仕方を肯定的に捉え、自分にとって心地よい空間を、無限性から切り取っていくらでも造れるのだから、そういう方向へ人間は変容していく(P.186)と返します。私も、以前は前者のように考えていましたが、今は後者の考え方に近いです。個人の「ある断片」においては、リアル世界よりもネット世界の方が「自分の居場所」が見つかり、幸せに生きやすいということなのだと思います。