2007年10月27日土曜日

曽根麻矢子チェンバロ・コンサート~高木綾子のフルートと共に~


ずいぶん前(10月14日)のことになってしまいましたが、コンサートの感想を書いておきます。


神奈川県区民センター(かなっくホール)で開催された、曽根麻矢子さんのチェンバロコンサートに行ってきました。あくまでも高木さんは「ゲスト出演」ですが、私の場合は目当ては高木さんのフルートでありました。しかし曽根さんのチェンバロも悪かろうはずもありません。


    第一部(チェンバロ・ソロ) 
  1. ラモー:クラヴサン曲集 より「ミューズたちの対話」 
  2. クープラン:クラヴサン曲集 第14オルドルより「恋のうぐいす」 
  3. ラモー:クラヴサン曲集より「一つ目の巨人(ロンドー)」 
  4. J.S.バッハ:パルティータ第1番 変ロ長調 BWV825
    第二部(デュオ、フルートソロ)  
  5. ヘンデル:15のソナタ Op.1 より第4番 イ短調 
  6. ヴィヴァルディ:フルート・ソナタ ト短調 Op.13-6  
  7. ドビュッシー:シランクス 
  8. J.S.バッハ:フルートとハープシコードのためのソナタ ロ短調 BWV1030


  • 日時:2007年10月14日(日) 14:00~
  • 会場:かなっくホール
  • 曽根麻矢子(チェンバロ) ゲスト:高木綾子(フルート)
  • チェンバロ:David Ley 1977年製作のフレンチDUMONT1707年モデル

第一部は曽根さんの即興的なトークも含めリラックスして楽しめる演奏会でした。特に、一曲目が終わった後は、客席の十数名を舞台に上げ、チェンバロの傍で「恋のうぐいす」を聴かせてあげるなど、堅苦しく音楽を聴かなくてもいいんだよとでも言いたげな企画でありました。

曲目としては、しっかりとチェンバロでバロックを満喫したいという向きには、多少食い足りないところは残ったかとは思います。高木さん目当ての私でさえ、もっと弾いて欲しかったと思ったくらいですし。それでも、ラモーが生で聴けたからよかったかな。

第二部は高木さんをゲストに迎えての演奏です。高木さんの音色はいつ聴いても「ウげっ!」とばかりに驚いてしまいます。かなっくホールは300席程度でフルートには丁度良い大きさなんでしょうか。彼女が最初の一音を奏でた時に、一体どこから音が出ているのだろうと思わせるほどに、ホール全体が響きます。音の深みとまろやかさは一層に円熟味を増したかのよう。それに呼吸法のうまさでしょうか、息継ぎが自然でワンフレーズが恐ろしく長い。それゆえに、旋律の連続性がはっきりと伝わってくる。さすがと言いますか、貫禄といいますか。

途中にソロでドビュッシーの「シランクス」が奏されました。チェンバロとバロック音楽を主体とした曲目には、いささか不釣合いな感は否めないものの、彼女の「シランクス」が聴けたのは儲けものといえましょう。それ以外の曲も、フルート・ファンには馴染みの曲ばかりで、楽しむことができました。彼女の演奏には、ときどき高木節とでもいうような癖を感じることもあるのですが、これも彼女の演奏の味でしょうか、よしとしましょう。

アンコールは曽根さんのチェンバロ・ソロ。「ゲストというのに、随分演奏してもらいましたから、アンコールはチェンバロを弾かせてください」みたいなことをおっしゃってから2曲ほど披露。最後の曲は、最近パリで録音したばかりの平均律から。

曽根さんと高木さんのデュオは1年に二度ほどやりたいとのこと、次回は来年3月頃に計画ですとか、楽しみが増えますね。

今日は東神奈川という場所がらか、300席の客席にも空席が目立ちました。知名度抜群の彼女ら二人をしても、神奈川では満席が難しいというのは、かなっくホールの宣伝の下手さなのか、あるいは、それが音楽事情なのか。


2007年10月15日月曜日

三遊亭円朝作:怪談 牡丹燈籠 岩波文庫


ということで、歌舞伎を観た(→clala)ついでに三遊亭円朝(1839-1900)の『牡丹燈籠』を読んでみました。人情話に長じた円朝が中国は明の『牡丹燈記』から着想を得て、それに天保年間牛込の旗本で起こった事件を加えて創作したお話し。円朝の高座での話を速記でしたためたもので、この時代の作なれども言文一致の見事な作品に仕上がっていることにまず驚嘆します。


円朝の講談での流れるような台詞回しがそのまま写し取られているかのようなリズムと流れの良さ。それに人物の台詞の言い回しの妙。どこを読んでも味わい深く面白い。




しかも、物語は歌舞伎の劇よりもはるかに深く、「忠」「義」「孝」など、いかにも江戸時代的なテーマが横たわる仇討ちの物語になっています。円朝作の原本の真の(?)主人公は、お峰や伴蔵などではなく、実は歌舞伎には登場しない若者であったりします。かといって、お峰、伴蔵、お国、源次郎などのかげが薄くなることはまったくなく、よくぞ彼らのしぶとい生き様を活写したものであります。


『怪談』とあり、確かにかの有名な幽霊も登場しますが、幽霊以上に恐ろしいのは人間の方でございまして、恐るべき因縁と業が絡まり合います。色や欲に溺れ、裏切りと殺しが続き、そこに自己犠牲と忠義が加わり、様々な物語が錯綜しつつ最後は一本の糸に繋がり感動の大団円へと進むのあります。(ご都合主義などと言ってはいけない)


お峰が死んだ後も話しは続くのですが、御母堂登場後のシーンなど、涙なしに読むことはできませぬ(;_;)余程日本人はこのような仇討ち話が好きなのであるなと思わざるを得ないのでありました。


歌舞伎との筋の違いを書き立てても、両者は全く別物に仕上がっていますから何のタシにもなりません。歌舞伎の方も、あれはあれで見事な着眼点と演出になっています。それでも、ふたつだけ書くとするならば、伴蔵は円朝作では大した悪党として描かれていることと、お露の幽霊にサプライズが用意されていることでしょうか。ご興味のある方は一読を。

2007年10月14日日曜日

歌舞伎座:芸術祭十月大歌舞伎 夜の部 怪談 牡丹燈籠

久しぶりに歌舞伎を観てきました。歌舞伎座で上演中の夜の部、三遊亭円朝原作の通し狂言『怪談 牡丹燈籠』です。歌舞伎の『牡丹燈籠』は河竹新七版と文学座版の二種類があるそうですが、今回は後者のもの。74年初演、大西信行脚色・戌井市郎演出によるものです。伴蔵が仁左衛門、お峰が玉三郎という組み合わせ。なんでもう秋だっていうのに、怪談なんだろうとは思いますが、まあよしとしましょう。



前半は恋焦がれた新三郎を幽霊になったお露が憑き殺してしまうところまで、後半はお国と源三郎、お峰の末路まで。仁左衛門と玉三郎という話題の組み合わせですから、前評判や人気も上々。休日は安い3階席は空いていません。幕見席に久しぶりに並んで、狂言のみの観劇としました。


ただし、幕見席というのは、やはり通(つう)の席だなと改めて思いましたよ。最初は、お米やお露の声が聞き取りにくく、何を言っているのかさっぱり、芝居にのめり込めない。4階の幕見席からでは役者たちの細かな所作までは全く分からないんです。


それでも台詞回しはほとんど口語ですから筋が分からないということはない。有名な怪談話が気のきいた欲得まみれの夫婦劇になっています。特に玉三郎演ずるお峰がいいです。芝居は喜劇調で妙に玉三郎の演技がツボにハマっています。伴蔵が幽霊を見たという話を、怖がりながらも「聞きたーい」と言う所、幽霊からもらった百両を震える両手で数えるところ、そして「チュウ、チュウ、タコ、カイ、ナ~」。わざとらしさも感じますが、ここは素直に笑った方が得。


それでも見所は、馬子久蔵(三津五郎)をとっつかまえて、伴蔵の浮気を吐かせ、そして酔って返る伴蔵に浮気を詰め寄るシーンでしょうか。ここの玉三郎は歌舞伎というよりも現代ドラマを演じているかのよう。それだけに、これが歌舞伎か?と違和感もないわけではありませんが、やはりこれも歌舞伎。そして芝居として面白い。


玉三郎については、渡辺保氏が今月の劇評(→こちら)に以下のように書いています。


玉三郎は結局新七本よりも大西本のほうがその芸風に合っているのかもしれない。そこに玉三郎の女形としての特徴と現代性があるのだろう。これは「玉三郎論」の重要なデータである。


玉三郎の現代性ですか、成る程、よくわかんないけど。

お米演ずる吉之丞の幽霊姿は、近くで見るとかなりサマになっていたとの感想もありますが、これは全く確認できず。近場で観れなくてやっぱり残念です。ラストの「殺し場」は、お国と源次郎、伴蔵とお峰と続きます。いかにも歌舞伎的な「殺し場」ですが、伴蔵とお峰の場面は演出が過ぎましたか、雷鳴は不要なように思えます。ここは、しっかり二人の芝居を観たいところ。こずるいところもあったけれど、哀れな女です、お峰は。


本芝居は、三遊亭円朝の通し狂言が元になっていますので、2回ほど三津五郎が高座の円朝を演じて物語をします。なかなか楽しめる演出ではありましたか。やっぱり、久しぶりに観ても歌舞伎は面白いですね。




2007年10月12日金曜日

モネ損傷事件 さらに続報


モネ損傷事件の続報を追っています。全く個人的な興味です、今後も同様のことを続けるつもりはありません。


さて、若者5名(4名?)が起訴される方向のようです。うち1名は空調会社社員で、美術館への進入方法が分かっていたようです。


事件は本当に予め意図したものではなかったようです。APによりますと、5人は深夜に美術館に忍び込み、警報が鳴り響き驚いて逃げるところを、一人が絵にパンチをくらわせたとのこと。犯行はビデオカメラに収められていました。



The intruders wandered around the museum's ground floor, where the Monet painting was hanging, until an alarm sounded. Before fleeing, one of them punched the painting, officials said.


警報が鳴るまでウロウロしてたっていうんですから、おおかた酔っ払ってウダ話でもしていたんでしょうね。名画のかかっているギャラリーを歩きながら!>なんてウラヤ★シイ!


彼らはフランス刑法でいうところの、"damaging on object of public usefulness"で起訴(preliminary charge)されるとのこと。


Under French law, preliminary charges mean that the investigating magistrates have determined there is strong evidence to suggest involvement in a crime. It gives the magistrates time to pursue their probe before they decide whether to send the suspects for trial or drop the case.


主犯格の男性の罪は3年の懲役と45,000ユーロ(64,000USドル)の罰金だそうで、前科もないようですから、本当に今は反省していることでしょう・・・(;_;)


��月に盗まれた絵は、それにしても、どこにあるのでしょうかねえ。

2007年10月10日水曜日

モネの損傷犯が捕まったようで・・・

モネの絵画損傷の続報です。容疑者5名が捕まったようですね。以外に早い解決のようです。



One of the five being held for questioning gave himself up on Monday and told police the names of his companions after taking fright at the intense media coverage of a break-in that was captured on a security camera.(ABC News)

18~19歳の未成年らしく、お祭り騒ぎの中で酔っ払ってやってしまった、ということのようです。悪ふざけが過ぎたというか、後先を考えられなかったということでしょうか。突発的行動にしては反響が大きすぎました。修復可能で致命的な傷でなかったのが何よりです。


Police sources say statements made so far suggest the intruders had been drunk and did not premeditate the attack on the painting.(ABC News)


美術品に限らず歴史的建造物、貴重な自然など、性悪説を前提として展示あるいは存在していません。しかし、深い考えない悪意により傷つけられているのは洋の東西を問いません。とはいっても、相次ぐ美術品盗難や損傷事件の報に接すると、美術館や博物館の脆弱性が気になるところではあります。防弾ガラス+警備員に阻まれて、2m以上近寄れないというのも鑑賞スタイルとしては最悪ですけど。


Several recent incidents have raised questions over the security of works of art in French museums.(AFP)


え?音楽のサイトなのに誰も興味ないですか? この絵は高校時代から好きな絵のひとつでしたからね・・・、やっぱり気になりますでしょうに。

2007年10月9日火曜日

モネの絵がまたしても憂き目!


またしても、モネの作品が憂き目に合いました。フランスは10月7日、芸術と文化の祭典「ホワイト・ナイト(Nuit Blanche)」が開催中。同時にラグビー・ワールドカップ準々決勝で、ニュージーランドのオールブラックスから全く期待していなかった勝利を飾ったことから街はお祭り騒ぎ。酔っ払った5名(four or five people, likely four boys and a girl)がオルセー美術館に押し入り、モネの「アルジャントゥイユの橋」(今年、国立新美術館で見たばかり!→clala)をこぶしで傷つけたというのです。傷は切り裂かれたように10cmほど。修復は可能とのことです。




Five apparently drunk people broke into the Musee d’Orsay early on Sunday morning and punched a 10cm (4inch) tear in Le Pont d'Argenteuil by the Impressionist painter.


フランスの文化・通信相は破壊行為に心を痛めると同時に罰則の強化を主張してます。



It would be good a thing to increase the sanctions for (people who vandalise) a church, a museum, a monument, because they are attacking our history.


It’s always a heartbreak when an art object that is our memory, our heritage, that we love and that we are proud of is victim of a purely criminal act.



フランスは8月の盗難事件(→clala)といい、美術品関連の事件が絶えないようです。窃盗の場合は、心無い窃盗犯による仕業であったにしても、最終的には美術品に(金銭的)価値を見出しての犯行。美術作品に限らず過去の遺産や芸術作品を破損させる行為は歴史や文化遺産に対する反逆行為です。どちらも憎むべき犯罪ですが、破壊行為は許しがたく。


今回の犯罪がバカ者による度を越した悪ふざけであれば一過性のものでしょう。しかし、それが現在を生きる者の不満の捌け口として成されているのであれば問題は大きい。自分たちよりも芸術作品の方が「大事にされている」と思う気持ちが、もし仮にあるとするならば、これらの反社会的行動の根は非常に深いと言わざるをえません。フランスは移民問題とか内政は日本とは異なります。犯人の若者が、どのような者たちであるのか、事件の背景についも、注目しておきたいところです。

2007年10月6日土曜日

山田昌弘:希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

格差論の火付け役となった本書も文庫本化されましたので、ようやく読んでみました。


本書は、ニュー・エコノミー下の社会において、格差が「量的格差(経済的量的格差)」から、個人の努力では超えられない「質的格差(職種やライフスタイル、ステイタス)」の格差を生み、最終的に「心理的格差(希望の格差)」に繋がると捉えた点が斬新でした。現在の格差の最大の問題点は、将来に希望を持てる人と将来に絶望している人に分裂してゆくのだと。




学者は、とにかく分析が仕事です。山田氏は1957年生まれ東大卒。彼の主張するところの「パイプライン」(下図 本書P.193より転載)がうまく機能していた時代の成功者です。私を含め高度成長やオールド・エコノミーの時代に生まれた者は、将来の見込みも持たずに(持てずに)過ごす現代の一部の若者に対して根本的な疑問を持っています。自分の子供が住む日本社会に対する漠然たる不安もありますが、このままでは自分の年金が受け取れなくなるという利己的かつ現実的な不安が本音でしょうか。何故こんなことになったのか、自分たちと彼らは何が違うのかと。



そういう疑問には、本書はキッパリと明確な回答を用意してくれています。その点においては評価できる内容といえましょう。しかし、分析というのは目的があってするものです。人を納得させるための分析では、思考の遊戯でしかありません。分析結果をもとにどういうアクションを提示するのかが最も重要で、その点において本書は愚書の類と同一です。


最終章に「9 いまなにができるのか、すべきなのか」という章が設けられています。現在生じている問題は経済的格差以上に心理的格差(希望格差)であるとし、リスク化や二極化に耐えうる個人を、公共的支援によって作り出せるかどうかが、今後の日本社会の活性化の鍵であると主張しています。努力すれば豊かな生活が報われる社会を実現(復活)させるために、山田氏は以下の提言をしています(P.276-282)。



  • 能力をつけたくても資力のないものには、様々な形での能力開発の機会を、そして努力したらそれだけ報われることが実感できる仕組みを作る → 学校システム、職業訓練システム、誰でもできる比較的単純な仕事に対して、努力してスキルをつければある程度評価されるというシステムの導入
  • 自分の能力に比べ過大な夢をもっているために、職業に就けない人々への対策 → 過大な期待をクールダウンさせる「職業カウンセリング」をシステム化
  • 公的に(個人の)コミュニケーション能力をつけることを支援する → 自分のコミュニケーション能力のなさを自覚し、自分の理想通り(の相手)など存在しないことを経験から学ぶ
  • 収入は低くてよいからのんびり農業をやりたい、テレワークで暮らしたい、一生一人で生活したいなど、新しいライフスタイルを目指す人(中略)に対する具体的な実現支援策を用意
  • 政府がキャリアカウンセリング事業を、学校教育、生涯教育に大々的に取り組む
  • 若者にも「逆年金」制度



提言はこれだけです。こういう対策を行わなければ、若者は「希望」を持つことができず、アディクションに逃避し、さらに「エンビー型」の嫉妬心による犯罪、すなわち「不幸の道連れ」が増える可能性のあることを別箇所で指摘しています。


「エンビー型」犯罪の究極が赤木氏(→http://www7.vis.ne.jp/~t-job/)の「希望は戦争」でしょうか。ここまで書いてきて、赤木氏をはじめとしてして「フリーターを罵倒している」という論調の意味が、何となく分かってきたような気がします。分析は一面正しいのですが、何かがまた抜け落ちているのだなと。

2007年10月3日水曜日

[立読み]長野慶太:部下は育てるな! 取り替えろ!

刺激的な題名の本、書店でざっと立ち読み。買うほどの内容ではありませんが、書いてあることには首肯できる点も多い。ただし、部下を取り替えることのできるほどの実力と権限を既に持っている上司ならば、このような本を読むことはないのでは。なかなか育たない部下、あるいは期待したパフォーマンスを上げない部下に悩んでいるから、このような本を手にとるのではないでしょうか。


部下は育てるのではなく勝手に育つのを待つ、だとか、部下と分かり合おうなどと思うな、というのは、一面においては確かにそうかもしれません。パワハラ上司は別としても、最近は部下におもねる本が多すぎる気もします。全面的に賛成はしませんけどね。



2007年10月2日火曜日

展覧会:安齊重男の“私・写・録”1970-20




国立新美術館が企画・主催する初めての個展となる『安齊重男の“私・写・録(パーソナル フォト アーカイブス)”1970-20』を観てきました。安齊氏は現代美術の現場を記録してきた写真家。実は私はとりたてて現代美術にも、そして安齊氏にも興味があるわけではありません。知り合いの写真が展示されている、ということを知り、観てきた(=探してきた)次第です。

安齊が撮影した芸術家は非常に多岐にわたり、その圧倒的な数の写真群は息を飲むばかり。芸術作品を撮ったというよりは、その芸術を生み出した作家や時代を写しているといった方が正しいでしょうか。

それにしても、1970年からつい最近に至るまでの多くの作品群について、ひとつひとつを眺めると、現代美術ですから、アタマの中に?マークがいくつも浮んでしまいます。しかし、それらを総体として時代の流れとしてみたときには、何か感応できるものがあります。一見、無味乾燥な作品だったり、ぶっきらぼうな、あるいは、人をこばかにしたような作品であっても、実はその作品が生み出された作家の内実は、非常にドロドロとしており、止むに止まれず、あのような作品を生んでしまったということが、何となく伝わってきます。

写真を眺めると、それは芸術というものが持つ抽象性の奥に隠された欲望とも葛藤とも渇望とも言えるような、ナマな人間の感情の奔流のようであって、余程具象よりも空恐ろしく感じたものです。あまりの写真の多さと芸術作品の直接性に、軽い眩暈と吐き気さえ覚えたことも否定できません。

知り合いの写真も数枚発見でき目的も達したので、あまり長居は無用と展示会場を後にしましたよ。