2008年1月7日月曜日

年頭に当たってのメモ


Clala-Noteというカテゴリーがあったのを、すっかり忘れていた。とりあえず年頭に当たってのメモである。ごくごく、個人的なメモということで。

アメリカの大統領選を占う1月4日のアイオワ州党員集会では、民主党についてはオバマ上院議員が、ヒラリー氏などを抑えて圧勝した。「変化」を求める主張が、若者を中心に地すべり的な支持を得たとの解説が目に付く。アイオワの結果だけで全てを占うことはできないものの、今後の行方は興味深い。

それにしても「変化」か! 数年前の小泉政権を生んだときの熱気を、懐かしく思い出す。今の日本の政治風景は、あまりにもあの時と違っている。「劇場型政治」がやっと終わったと胸を撫で下ろす良識派が居ることは知っている。私も小泉政権には幻滅したクチだ。それにしても、日本政治のダメさ加減よ。

年末のパキスタンのブット首相暗殺には、遂にという想いとともに、残念な気持ちでいっぱいである。パキスタンは昨年9月から、テロ特措法からみで内外の新聞をウォッチしてきた。今年の総選挙を睨んで9月10日にシャリフ元首相が帰国を企てたものの、パキスタンの地を踏むことさえできず、空港から国外追放された頃からだ。10月18日、熱狂と爆薬に迎えられブット氏は帰国した。二人の帰国に対する戦略の違いは、海外のメディアで話題となった。西側受けするブット氏はBBSを始めとするメディアで強くパキスタンの将来について語っていた。

ムシャラフ氏が99年に権力を握ったときのパキスタンは政治的に孤立し、経済も破綻状態だった。穏健で近代的な国家建設に向けて方向転換をしたのは確かにムシャラフだったらしい。だから、NEWSWEEK 11.21(日本版)の「PAKISTAN'S PINSTRIPE REVOLUTION」という記事が指摘した、「ムシャラフVSブットという構図は、あまりにもアメリカ的な見方」という意見には成る程と思ったものだ。アメリカはブット氏をパキスタンの鎹として起用しようとしたのだろう、シャリフを通じてではパキスタンを制御できない、ムシャラフの地位も支持力も低下していた。

もっとも私のパキスタン情報など、せいぜいが3ヶ月くらいの知識に基づくものでしかない。だから私は、ブット氏を支持あるいは好感視していたわけではない、たとえムードでいいとしてもだ。

とはいえブット氏帰国を狙った爆弾テロは卑劣にして悲惨なものだった。どう考えても容認することができない。彼女はテロの危険を、事前にムシャラフから警告されていながらも帰国を敢行した。彼女の主張は明快だった。「パキスタンに真の民主主義を」だ。ムシャラフも民主主義を否定してはいない、しかし彼女のそれとは違う。

ムシャラフ、ブット、シャリフは、政権争いだけではなく、混迷を極めるパキスタンの立て直しのために、虚虚実実の駆け引きを繰り広げていた。あるときは手を結び、あるときは相手を批判し。その政治的緊張は、ある意味で健全な政治風景であった。ムシャラフ氏が軍参謀という独裁的権力を振りかざし、緊急事態宣言を発令したり政治・司法の敵対者を軟禁・逮捕したりしている状態であることは承知していても、政治的への期待が生み出すダイナミズムは失われてはいない。

そんな政治風景を、12月28日のブット氏暗殺事件は一変させた。軍部の陰謀であろうと、タリバンあるいはアルカイーダ系のテロ組織であろうと微妙かつ絶妙な均衡と西側諸国の思惑は崩壊した。ブット氏の暗殺は、アメリカ主導によるテロ掃討作戦、あるいはイスラムへの干渉に対する、強烈な「NO」という意思表示だ。

その犠牲になったのがブット氏なのだろうか、パキスタンと米国の狭間において。どんな政治的野心がブット氏にあったろうとも、テロの危険を誰よりも察知していながらも政治活動、政治集会を辞めなかったブット氏の姿勢を、私は支持する。


さて、振り返って日本だ。日本にとって、パキスタンはどれほど重要な国と写っているだろう。呑気に給油が国際社会での義務だとのたまう政治家は、何を考えているのだろう。そんな緊張状態の中で、世界は2008年を迎えた。

昨年は安倍首相の「ボクおなかがいたいの辞任」や、小沢代表の「みんな言うこと聞かないんで、もう辞めます」もあった。その後の民主党の「天岩戸行動」にも心底失望したものだ、まるで学芸会を見ているようではなかったか。内閣改造も総選挙も、数合わせ保身と保守だけにしか見えない。

11.21のNEWSWEEK誌には「THE BELGIFICATION OF JAPAN」とする記事も掲載されていた。曰く、日本では日本のエリート層で、ほぼ全ての主要テーマについて政治的コンセンサスが出来上がっている主要政党の政策の違いが小さいほど、国民が政治に関心を持つ理由も小さくなる

福田・小沢の大連立構想については、海外のメディアは、たとえばA grand coalition for Japan was a very bad ideaなどと報じた。ドイツのそれとは違うと。自民党と民主党にどんな政策的差異があるのかと。それが国民が政党政治にうんざりしている原因のひとつであるのに、新たなムーブメントは大きくならない。

未だ底の見えないサブプライム問題、米国景気のリセッション、原油高、日本景気に対する見切りからくる日本株売り、中国、アジア諸国の更なる台頭と国際発言力の増大。円に左右される輸出企業の業績、島国根性を脱しきれない日本のスタンダード、エトセトラ・・・。

ブッシュは死に体、福田は「ひとごと政治」だ。村上龍の『半島を出よ』はフィクションだったが、日本が強大な経済力を失うと国際的地位も失うとの指摘は強烈だった。


年初めの日経平均株価もTOPIXも大幅な下落状態から始まったことは、それでも記憶しておかなくてはならない、年頭から暗澹たる気分だ、投資などしていないにも関わらずだ。悪夢の始まりかあるいは変革の途上か、はたまた。















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