2008年8月30日土曜日

展覧会:コロー展~光と追憶の変奏曲


国立西洋美術館で開催されている「コロー展」を観てきました。コローは美術部であった高校時代に好きであった画家の一人。その頃は、独特の水辺の風景画に惹かれていました。今回の展覧会は、コローとしては大規模のもので、しかも彼が優れた人物画家であったことも示す企画になっています。




パンフや半券になっている絵は「コローのモナリザ」と称されている作品。これと「青い服の婦人」が今回の展覧会の目玉になっています。扱いとしては、こちらの方がコローとして有名な「モルトフォンテーヌの想い出」などよりも重い扱いです。


コローの作品の魅力は、静謐さ、建築や人物造形上の揺るぎのない構築力、それと相反するかのような樹木の表現の叙情性にあります。展覧会の副題が「光と追憶の変奏曲」とあるように、コローの絵には彼にしか表現できない詩情が漂っています。


印象派のような軽さや鮮やかさは認められないものの、コローが印象派に先駆けた「眼の作家」であったことは否定できません。彼の作品からは、ひたすらに風景や人物がもつ外的美しさと憧憬と愛情が感じられます。


批判的に観ればば、人物表現については内面性までを感じさせるものではありません。風景表現においても大規模な神話的絵画においてはイメージと技術の硬直を感じます。展覧会という場で多くのコロー作品に多く接した場合、多少の退屈を感じることも否定できません。


それであっても、私にとって、コローはかけがえのない作家の一人であることに変わりはなく、この企画に接することが出来た僥倖を素直に喜びたいと思います。


2008年8月18日月曜日

特別展「対決-巨匠たちの日本美術」


東京国立博物館で開催されている、「対決巨匠展」を観て来ました。人気です。朝9時半会場ですが、既に大人数が並んでいます。確かに見ごたえがあります。「対決」というキャッチと企画は成功しているようです。






美術作品を選ぶのも並べるのも企画(演出)が勝負なのでしょうか、今まで見慣れた作品でも、対比、流れの中で観ると、全然違った背景が見えてくる場合があります。そこに企画(演出)者の意図の押し付けのようなものを感じることしても、我々とてイノセントな眼は持っていないのですから、企画を楽しむのが正解なのだと思います。対決に対する批判をも含めて。


展示作品は膨大で、そのひとつひとつを述べることはできません。詳細はいつものことながら、弐代目・青い日記帳のエントリに譲りましょう。


印象的であったのは、それでも、か、やはり、というのか、展示作品冒頭の運慶と快慶の仏像と伊藤若冲の鶏画は圧巻でしたね。仏像の存在する空間さえ支配するごとき静謐さ、若冲は画面の痛みもなくその鮮やかさときたら驚くほかありません。


こうして日本画を観ていますと、どの時代の作品においても日本画というのは、技術的には大胆さと繊細さが、空間的には対象と間の絶妙のバランスで成立しているようです。若冲の作品にも背景としての場あるいは間というものが存在しています。その意味から蕭白の作品は、異常なまでのエネルギー、執着を感じる異様な作品として感じました。あのエネルギーを受け止めるパワーは私にはありません。