2008年12月27日土曜日

個展:瀬畑亮セロテープアート展

芸術家という生き物は奇妙な生き物です。練馬区美術館で開催されていた「石田徹也展」と一緒に開催されていたのが、セロテープアートの第一人者、瀬畑亮の個展。(公式HP

日経新聞か何かで紹介されていて名前を知りました。彼女は市販のセロハンテープを巻上げて造形を造ります。幼少の頃からセロテープに異常な興味を抱いていた彼女は、与えると使い切るまでセロテープをいじくりまわしていたそうです。母親が、これだけ与えれば諦めるだろう、飽きるだろうと、袋一杯のセロテープを与えたら、彼女は水を得た魚とばかりに、袋一杯のセロテープを使いきった・・・。

正直、彼女が造形をどうして「セロテープ」で造らなくてはならないのか、理解できません。蜜蝋のような独特の色。仔細に表面を見ると、セロテープが気の遠くなるほど巻かれているらしい痕跡。かつては「芯」を用いて造っていた時期もあったのだとか。しかしある人から、その「虚」を指摘されてからは、手が腱鞘炎になるのも厭わず、芯を用いないところから造形を造るようにしたそうです。

塊の全てが薄いセロテープの積層体であると思ったときの、そこに込められた時間と想いに、少しばかりクラクラします。

彼女の造るオブジェは他の素材、例えばFRPとかガラスとか鋳物などでも可能です。しかし彼女はセロテープ以外の素材では表現できず、得られた作品の質感、重さ、密度感も、セロテープ以外では、おそらくありえないのでしょう。

2008年12月26日金曜日

個展:石田徹也展~僕たちの自画像~


練馬区美術館で開催されている「石田徹也展」に行ってきました。行かずにはいられないと思って西武池袋線の中村橋まで足を運びましたが、これは正解。というか、衝撃の世界が練馬の小美術館で展開されています。必見です(→石田徹也公式HP http://www.tetsuyaishida.jp/)。

「NHK美術迷宮館」で、かの「飛べなくなった人」が紹介され、気にはなっていたのです。しかし、彼のこれらの作品をどう評価するか。深刻なメッセージと取るか、あるいは日常の違った面からの断章と取るか。石田氏自身は「ユーモア」という言葉を用いて自分の作品を説明したりもします。そう、それほど「深刻」になる必要はないのか、と思ったのが、比較的受容も解釈もできる第一展示室の作品群。

しかし、第二展示室は生と死と虚無と希望が横溢した、凄まじい世界が静かに展開されていました。驚きの作家の内実。31歳、町田付近で踏切事故で若い命を落としました。彼の作品を見ると、この先彼は生き続けることができたのか、こんなにナイーブな精神が、現代で通用しただろうかと思ってしまいます。

柔らかく、壊れやすく、あたたかく、湿っていて、決して人前には出せないので隠し持っているような何か。まるで子宮願望のような回帰性。現実に「嫌だ嫌だ」を内心では繰り返しながらも、表では能面のような風を装い、そして何かが毀れていく。石田氏の作品が内包する世界は、現実世界そのものや自分のありように対する苛立ちと反逆となって奔流します。そういう自分を「ユーモア」で笑い飛ばしながらも、目だけは笑っていない。

一貫して描かれた虚ろな目をした青年が、画布の向こうから見据える我々は、いまどんな風に見えているのでしょうか。

彼の作品は、先に紹介した公式HPでも閲覧できます。しかし、画集や画像からは分かりにくいディテールの凄まじさは、実物に接しなくては得られません。その大きさと細やかさと執拗さ。画家の精神に圧倒されます。

詳細なレポートは弐代目・青い日記帳(→http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1567)をご覧下さい。東京では28日(日)まで開催されています。




2008年12月23日火曜日

映画:地球が静止する日


キアヌ・リーブスが出演している「地球が静止する日」を観てきました。結論から申上げますと、とてもではありませんが正視するに耐えない映画でした。莫大な予算と時間と労力をかけて、これほどに壮大かつ無意味・無感動な映像を造り上げる馬鹿さ加減に呆れ果てます。まったく、ハリウッドってやつはです。



51年のロバート・ワイズ監督による同名映画のリメイクですが、最新のSFX技術を駆使して巨大ロボットゴートや地球が破壊される様を描きたいという欲求で造られたといったところでしょうか。女性科学者演ずるジェニファー・コネリーのみが唯一の見所。それにしても浅い、中途半端!突っ込みどころ満載。中盤からラストにかけては呆然、これでオワリ!?


人類の叡智をもってしても到底抗うことのできない、圧倒的な差のある敵からの攻撃や蹂躙とか侮蔑。主人公が、わずかなチャンスを生かして戦うというのは、古今東西、永遠に尽きることのないテーマ。それをどう料理するかが腕の見せ所だと思うのです。特殊撮影技術が主ではありません。


人類が消えれば地球は助かるという発想は、以前に読んだアラン・ワイズマン著のベストセラー『人類が消えた日(The World Without Us』を思い出しました。こちらは渾身のノンフィクションでした。

2008年12月21日日曜日

柴田哲孝:TENGU




帯にあるように「第9回 大藪晴彦賞受賞作」とのこと。この本が大藪晴彦の名に値するかは議論が分かれましょう。今年話題のミステリーでもと思って書店の平積みを手に取ったものですから、この作家を読むのは初めて。果たして読んでみますと、確かに筆力はあるし、面白い。一気読みです。

しかし、着想の奇想天外さと結末に向けての造りこみに納得ができるか。ベトナム戦争、911テロ、国家レベルの隠蔽交錯など、広げた風呂敷は大きいものの、結末は"これかよ"みたいな大きな肩透かし。種も仕掛けも裏もないんですよ。ですから壮大なミステリーを期待する向きには、失望と甘さを禁じえないでしょう。そういう意味では「剛球」勝負の作家といった印象。

本書を大藪賞たらしめる理由があるとすれば、それはアウトロー的男のロマンを土台とした作風にあるのでしょうか。作者自身が、海外の秘境に釣行するアウトドア派で、パリ~ダカール・ラリーにも参戦などのプロフィールを読むと、疼きを覚える人も多いはず。作中人物に作者の姿がかなり投影されているらしい。


そういう輩の思い描く「男のロマン」とは、しかし客観的に見ると、これほどまでに子供臭く身勝手なものなのかと呆れてしまうほど。主人公や周辺の男達の人物像に感情移入できるか否かが本書の評価の分かれ目になるでしょう。


さらに酷い(と言い切ってしまいますけど)のは女性像。男の理想系でしか描かれず、一時代前の小説を読むかのようです。彼女達を「やさしい女」「理想の女」「天使」と見るか否か。バカバカしくて、ちょっと笑ってしまいます。因習の村の扱いも作者の女性像をフレーミングするためのプロットでしかなく、深みに欠けます。


まあ、そういう批判はイロイロありましょうが、です。男というのはかくもバカな生き物だと「やさしい女」たちに赦してもらいたいということなんでしょうかね。


それであっても、彼のデビュー作となった「下山事件 最後の証言」を、彼の筆致で読んでみたいという気にはなりました。私はバーボン派でありませんから、上質のシングモルトでも用意して。そう、バカな男にはスピリッツがどうしても必要なんです。






2008年12月18日木曜日

映画:レッド・クリフ Part 1


ジョン・ウー監督の「レッド・クリフ Part1」を観てきました。



イロイロと多忙な師走にあって、このような完璧なエンターテイメントは、ひとときのカタルシスを与えてくれます。圧倒的な戦闘シーンは、今ままで観たこともないほどの迫力と残酷さ、そして壮大さがあります。


ジョン・ウーの暴力シーンは賛否両論があります。ここに「男の美学」を感じるか否かが、彼の作品を好きになるか嫌悪するかの重要な境目となりましょうか。(私は、彼の表現はちょっと「やりすぎ」と感じる程の穏健派ではあります)


ジョン・ウーの描く「美学」は派手かつ官能的と言えるほどの戦闘シーンだけにあるわけではなく、その戦闘を行うに至る原因や必然性にこそ「男」が痺れる要素があるように思うので、単純化された図式は彼の持ち味を少しばかり損なっているかもしれません。


本編は「三国志」の中で有名な「赤壁の戦い」を扱っています。善悪を分かりやすくするために、曹操を悪玉に、諸葛孔明を有する劉備軍と周瑜を有する孫権軍の同盟軍を善玉としています。これが物語を平明なものにしています。


「三国志」といえばゲームになるほど人口に膾炙していますから、語り始めるとキリのない人も多いでしょう。私は久しぶりに吉川英治の「三国志」を取り出して、「赤壁の巻」をつらつら暇に任せて読んだりしています。

2008年12月15日月曜日

誉田哲也:ストロベリーナイト



こういうサスペンス小説が最近は受けるのでしょうか?

男性社会でぶれることのない立ち位置を占める存在感ある女性が主人公であること、官僚組織の典型である警察を舞台としていること、そして猟奇的殺人事件と意外なる結末。「売れる」要素は兼ね備えています。

しかし、私にはどうにも、こうにも。サスペンスはこのごろほとんど読みませんけど、もっとマシな小説もありましょうに。大阪日帰り出張の往復の新幹線の中でヒマつぶしにでもと思った本で、多くを期待して読んだわけでもありませんから、いいんですけどね。

何よりも受け付けないのは、猟奇的にしてグロな描写。最近の読者は、このくらいに刺激的でなくてはモノ足りませんか。読者がバカにされているような不快な気分です。刺激的であればよいというものではない。

残虐さと相反するかのような、下手なユーモア、コテコテの人間関係は下手な漫才を見ているよう。主人公の過去には、主人公の成長物語として読むこともできますけど、重いテーマが刺身のツマみたい。

そして警察の嫌というほどのセクショナリズム。組織のしがらみとか、出世とかキャリアとか=3私のような中間管理職のサラリーマンは、身につまされたり、共感するところもありましょう。でも、それが逆に確信犯的に感じられ、これまた作者にコケにされているように感じる。

解説者が「キャラが立っている」と書いたところで、クセがある人物というだけでそれ以上ではない。

犯罪者心理や動機や背景にも共感を全く覚えません。社会の暗部をえぐってもいません。

所詮エンタメ小説、読んだらすぐさまBOOK OFFという運命であることに変わりはなく。怖いものみたさを満たす小心でスケベな感情と、自己憐憫と自己弁護のためのガス抜きと言ってしまえば、きつ過ぎますか。

ファースト・インプレッションにしては批判的すぎるとは思います。同じ作者を続いて読む気には、今のところなりません。また新幹線にでも乗るというのなら別でしょうけど。