2009年1月3日土曜日

柴田哲孝:「完全版」下山事件 最後の証言


本書「下山事件」をどのようなコンテクストの中で読むかにより、評価は分かれるかもしれません。佐藤一「下山事件全研究」、森達也「下山事件(シモヤマケース)」、そして諸永祐司「葬られた夏-追跡・下山事件」。これらを読んだ上で、本書に下山事件の解明を求めたとき、不満や疑問が残るか、真相解明の快感が得られるか。

純粋に「下山事件」の決定版を出版するという意図が柴田氏の目的であったならば、本書のような構成にはならなかったはずです。他書や報告との差異や論拠の違いを、一つ一つ漏れなく潰していくという遣り方こそ取るべきで、柴田氏の都合の良い文脈の中で散発的に資料を引用するという書き方は、フェアに感じられません。

おそらく、本書は「ジャーナリスト柴田氏」の自分探しの書なのです。氏の下山事件に対するアプローチは、自分の叔父が下山事件に関与していたかもしれないことを知らされたところから始まります。叔父は柴田氏の成長過程で大きな影響を与えた人格として紹介されています。「下山事件」そのものよりも叔父について調べたかった、すなわち、柴田氏自らのルーツを探ることが目的であった。

追求を始めると、事件や証言には不可解な点が余りにも多い。最初はルーツの旅であったものの、ジャーナリストとしての血が真実を求め始めたようです。それから氏は膨大な時間をかけて事件に迫っていきます。

下山事件に関与したらしい亜細亜産業という叔父の会社を中心として登場する人物名には驚かされます。政治家、右翼、左翼、CIA、CIC・・・、そして三菱など。昭和の一時代が亜細亜産業という「場」に凝縮されているかのようです。

多くの証言を通して(身内のものも多いのが欠点ではあるが)、亜細亜産業の正体を暴く作業そのものが、叔父を探す作業につながり、ひいては下山事件を紐解くことに繋がっていきます。ここらあたりの筆致はグイグイと読ませます。

そして、全てを「辻褄が合うように考えると」、下山事件は、国鉄内部のだけの問題だけではなく、アメリカの日本占領政策と日本という、大きな枠組みの中で生じた「事件」であることが見えてくる。アメリカの国家戦略、権力と利権の構図。著者の、この結論を読んでストンと溜飲を下げるか、胡散臭いと感じるか。

さらに人脈と事件のルーツとして柴田氏は、「満州鉄道」に拘り続けます。そして最後に下のように結んでいます。

もちろん張作霖爆殺事件や柳条湖事件が下山事件と直接関係していたとする論法は成り立たない。だが、下山事件の背後には、満州鉄道から延々と続く人脈が存在した。精神的な支柱として、もしくは事件の発想の根幹として、その裏に満州鉄道が存在したことは確かである。
私は下山事件にはそれ程「思い入れ」はありません。ですから、本書にはイノセントに接し、大変面白く読むことが出来ました。正直、昭和史に関してはイロイロと目から鱗のところも多かったです。ですから下山事件の犯人が誰であっても、私にはどうでも良いことです。むしろ最近の書「CIA秘録」でも読まなくては、という気になりました。

この作品の後に柴田氏は、作家として歩み始めます。先に酷評した「TENGU」も、本書を読むと氏が何を書きたかったのかが分かりました。あれは氏の構想だおれの作品です。あまりにも「下山事件」で得た結論が「ロマンチック」過ぎたということです。

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